転職

2013年3月24日 日常 コメント (5)
日記で書くと唐突なお知らせに見えてしまいますが、このたび現勤務先の病院を退職しました。
とてもお世話になった病院で、べつに喧嘩別れでも待遇の不満でもなく、また何かご縁があれば数年後に戻らせていただくことも考えていて、リップサービスかも知れませんが理事長先生などからもそうしてほしいとお言葉をいただいているのですが、(表面的には)一定の年数を経たところで今度は別の経験も積んでみたいという思いから決意しました。
生活に関わる切実な理由としては、土曜日が勤務日になっていて外来の担当日でもあるため休めず(有給休暇があっても現実的には使えず)、保育園も休みのため妻が小さい子供たち3人を1日中面倒見なければいけないという育児負担の問題がありました。さらに、運動会やお遊戯会など保育園の行事はほとんどが土曜日に開催され、それらに私が行けないことでの「残念さ」は私だけの問題なのでどうでもいいのですが、妻が次女をおんぶしたまま会の進行に沿って上の2人を誘導したり迎えたり、さらには親も参加するプログラムもあったりで、思い出の行事というよりは可能ならば欠席したい迷惑行事になってしまっていました。
まだ経験の浅い年代にありながら男性医師が家庭優先を理由に転職するということ、これはまだまだ広く理解を得るには難しい問題ですが、自分自身が子育て中の女性医師であるかのように割り切って、そして割り切りも何も問答無用に現在進行形で待ったなしな子供たちの成長を第一に考えて、この3月で現職場を去る決意をしました。
このような転職希望理由をそのまま伝えた上で採用していただき、見方によっては後ろ向きなイメージを与えてしまったかも知れないのに現在よりも昇給となる厚遇で迎えてくださる4月からの勤務先には大変感謝しております。
現勤務先は3月21日で最終勤務となり、今までほとんど未消化なまま累積されるばかりだった(むしろ時効で一部消滅)有給休暇を最後だけ大胆に10日間も? やはり最後まで臆病に10日間だけ? いただきました。
昨日は保育園の卒園式に在園生として列席する長男を私が連れて行き、この学年にとっては親子とも来年の卒園式に向けた予行演習も兼ねているのかなあと感じたり、相変わらず日本の幼児・児童教育では「呼びかけ」に多大なエネルギーを費やしていることを実感させられてみたり、考えさせられるところは多々ありました。
これで年度内は保育園の行事が終わりましたので、あとは家でのんびり過ごしたり、家族旅行に出かけてみたりと残り1週間の休暇を堪能して新年度を迎えたいと思います。

子育て

2012年12月11日 日常
こちらでは久しぶりの投稿になります。
この半年は主にfacebookのほうで子育て記録のようなものを書いていました。
5月に生まれた次女は上の2人にもまれて力強く育ち、7ヶ月にしてつかまり立ちや伝い歩きをしています。その分、テーブルの上にも手が伸びてきて目を離せなくなっています。
今にして思うと特に長男のときなんかは過保護に育てていたようです。巷で売っているような赤ちゃん用品で危険防止グッズや行動エリアを制限するものなども使ってみましたが、やがて長男が大きくなっていき、長女も生まれて3歳近くになり、そうなると家の中を赤ちゃん設定で生活していくわけにもいかず、次女はベビーベッドも使わず普通に畳の上をごろんと転がって今日に至っています。
といって適当で乱暴な育て方をしているわけではなく、2人目でも3人目でも長男の時と同じように可愛くてたまりません。
ただし妻の負担を考えると、近くに祖父母がいるわけでもなく乳幼児3人を育てていく苦労は頭の下がる思いです。私が果たすべき努力の1つは在宅時間を増やすために無駄な残業をしないことなんですが、どうもここ半年ほど実感的には仕事量が倍近く増えてしまっていて困ります。これには人員配置の問題や突発的な事情など複合的要素が絡んでのもので仕方ない面もあるのですが。
まあ、ただ嘆いてばかりでも前には進めないので、この機会に自分のスキルをさらに向上させて結果的には患者さんにも還元できるようにしていきたいものです。

次女誕生

2012年6月3日 日常
まずは次女誕生の記録から。
‎2012年5月3日、午前4時35分に第3子となる次女が誕生しました。
身長49.2cm、体重3365g、ちょうど予定日での誕生でした。この日は6回目の結婚記念日でもあります。
顔立ちの雰囲気は長男とそっくりなようで、連休初日に生まれてくれたおかげで、仕事のスケジュールにも穴を開けずに済みました。この時期の当直は免除していただいていましたので、連休中、日中は家族そろって病室で過ごし、夜は上の子2人を自宅に連れ帰って寝かすという毎日でした。
今日で誕生から1ヶ月を迎え、母乳もミルクもよく飲んでプクプクと(福福と?)赤ちゃんらしくなっています。核家族で乳幼児3人を育てていくのには大変なことも多いですが、将来、子供たちがこの家庭に生まれたことを幸せに思ってくれるようなものは必ず残しておきたいと思います。経済的には貧しくても、心豊かに、知性豊かに、そして健康な身体でこの社会を生き抜いていけるように、親として最低限の務めは果たしていかなければと思っています。

ところで、最近はfacebookで日々の楽しかったことや幸せに感じたことなどを写真とともに気軽に載せているのですが、病院に出入りの製薬会社さんでもそういうものをご覧になっている方がいるようです。
インターネットで氏名を検索すれば簡単に出てきますし、べつに他人の誹謗中傷や個人・機密情報の暴露をするような内容で書き込んでいるわけでもないので、あえて細かな項目で神経質に非公表の設定もせず、誰でもある程度自由に見られるような使い方をしています。ということは、もしかしたら患者さんやその家族などが同じように私の名前で検索をかけてご覧になっている可能性も否定できないなあ、と今更ながら思いました。
私自身、仕事とプライベートは全く無関係なものと割り切っていますが(といって医師の名を汚すような悪事・愚行を働いているわけでもありませんが)、神妙な面持ちで厳しい病状説明をしていたと思いきや、あの姿は何だったのかと拍子抜けするような投稿の数々を目の当たりにしたら、中には逆恨み的な陰性感情を抱く方もいらっしゃるのかしら・・・・と思ってみることもあります。実際にそういう事態が表面化したことはありませんし、なりかけても相手が冷静に考え直している結果なのかも知れませんが。今のところ職場のほうからfacebookのようなサイト利用にまつわる何らかの通達や注意喚起もありませんので、当面は悪びれることなく自分の載せたいものを載せていこうと思います。
所詮、私は勤務医なので、仕事上の医療圏と自分の生活圏が全く重ならずにいます。それゆえ、上記のような懸念はせいぜいインターネット上だけでの話にとどまりますが、地域に根差した開業医の先生だと私生活にも気を遣わされる場面が少なからず生じるのかなと思いました。実際のところはどうなんでしょうか、これも個人差・地域差が大きいのかな。
こういうことを考える時点で私は開業医向きではないのでしょうし、もともとその才覚も財源も度胸も何一つありません。定年まで勤務医として細々と勤め上げ、退職後は大好きなローカル線の旅を楽しんだり、認知症進行予防に鉄道模型作りなど手先を使う作業の趣味にいそしみたいと思っています。
約1年半ぶりの日記更新になります。
もはや日記とは呼べないほどの空白期間になってしまいましたが。
とりあえず生存報告といいますか、足跡なり記録だけ簡単に残しておきます。
この1年半、これといって大過なく、健康体で家庭も仕事も平凡に充実していました。
そういえば前回の日記で少し触れた某講習会ですが、この講習会の修了証と所定の症例レポートを数枚、あとは実務経験を証明する書類関係一式などを添えて翌年7月に厚生労働省へ提出しておきました。そして、半年弱の審査期間を経て△△指定医という資格が認定され、それで少し仕事がやりやすくなりました。
家庭のほうでは、とても温厚でのんびりした性格の4歳長男、ときにお兄ちゃんを殴って泣かせてしまうほど気が強くて腕白な2歳長女、そんな2人の子育てに追われながらも今年5月初めには次女が誕生予定です。ますます賑やかというか、戦場のような日常が待ち受けていることでしょう。
家族の安全を最優先に考えて、自家用車も家族用のほうは人生で初めて外車を買ってしまいました。Volkswagen の Touran 、ドイツ製のいかにも頑丈そうな分厚くて重いドアが特徴的ですが、それでいて排気量は1400ccしかないのに走りはパワフルという不思議な車です。

この時期は入学試験、資格試験やその合格発表などが相次ぎ、4月から新しい世界での活躍を始める皆さんが多いかと思うと自分まで一緒にワクワクしてきます。職場にも後期研修の先生が新たに6人やってくる予定で、やっと7年目を迎えるばかりの私でも多少は指導を要求される場面が出て来るかも知れません。自分自身勉強中ではありますが、その中でもさらに勉強し直すつもりで心新たに取り組んでいきたいと思います。
先日、9月6日からの3日間、東京の新橋で開催された某講習会に参加してきました。
毎朝栃木駅6時39分発のJR両毛線に乗り、ちょうど3回分が残っていた青春18きっぷを今回の出張で使い切りました。小山から東北新幹線を使えばもっと短時間での移動も可能なのですが、有効期限が9月10日までの青春18きっぷで未使用分を残したまま終わってしまうのは勿体ないですし(2回分までの使用で十分に購入額以上の運賃を消化してありましたが)、そもそもこの出張で使い切る計画の下に購入してあったものなので、新幹線を使えばいいのにと渋い顔をする妻を横目に毎朝そそくさと出掛けて行きました。
さて、講習のほうは・・・・予想外と言っては失礼ですが、普段なかなか聞けないような話にも触れることができて、まあまあ有意義なものだったと思います。しかし日記でその内容についてまで言及するほど仕事人間な私ではないので、講習の話はここまで。
むしろ、東京へ行く機会が年に何回かしかない私にとって、このチャンスにやっておきたいことを幾つか果たしました。
新橋といえばサラリーマンの一杯飲み屋の街、そういう認識でいましたので、一度でいいから「仕事帰りに新橋のガード下で一杯やっていくお父さん」という役柄を演じてみたかったのです。おかげさまで長年の夢を果たすことができました。
昭和初期あるいは大正時代から存在したと思われる赤レンガにアーチ状のガード下、まさに天井から壁にかけて曲面となっているお店(限りなく屋台に近い)でホッピーや焼き鳥を堪能してきました。飲み屋の次には博多天神という豚骨ラーメンのお店もハシゴして、私にとっては非日常的で刺激的な夜でした。
2日目の昼休みは長かったので、地下鉄で神保町へ行ってきました。お目当ては「まんてん」というカレー屋さん、とんでもない盛り付けで有名なお店です。学生の頃から大好きだったお店で、「学生さんが満点を取れるように」という店名の由来は有名なお話です。医師国家試験の前夜もここで景気付けして、点数はともかく合否が全ての試験なので結果的には満点でした。
昔と変わらない雰囲気、メニューそのままで、食欲旺盛な学生さんやサラリーマン(結構年配な方もいらっしゃいました)と並んで私もジャンボコロッケカレーなるものを平らげてきました。
神保町といえば書店の街でもあり、書泉グランデというお店では10年以上も楽しませていただいています。このお店は趣味関係の本が充実していて、6階は鉄道・船舶・航空機・自動車・軍事などのフロアとなっています。絶対にマニアしか興味を示さないだろう書籍、辞典というべきか、国鉄全車両の台帳などもあり・・・・どの型式の何番の車両が何年にどこの工場で製造されて退役までにどのような運用をされたか云々・・・・もはや店側も売れることを期待していないのだろうと思われる資料的なものが数多くそろっています。今回は子供たちのために紙質が厚い電車の本を5冊ほど、自分用には国内フェリーの本を買ってきました。

と、そんな東京出張でした。
年度末
明日で平成21年度も終わりですね。
これで私は医師になってから4年間が経過しましたので、まず初期研修での2年間、次いで専門科でそれと同じ2年間を終了したことになります。
卒後即入局の時代であれば4月から専門科で5年目を迎え、経験や到達度も今より2年分の上積みがあったのかも知れませんし、そういう部分をもって現制度の批判根拠とされる先生もたくさんいらっしゃいますが、私はこの制度なりにその利点を享受できて現在を迎えられているのではないかと感じています。
制度の運用を活かすも殺すも、それは最終的には自分自身の問題であって、病院が用意してくれた素晴らしい研修プログラムや指導医の陣容で規定されるものではないと思っています。そういう考えから、学生時代は妙に早くから「就職活動」に熱心だった同級生の一部を冷ややかな目で見てしまっていました。
きっと彼らは彼らなりに期するところがあって、おそらくは私の及びもつかないような次元でまた違った思考を持ち合わせていたのかなあと今では反省半分に思い返していますが。そして文字通りパンダのごとく鷹揚に構えていた私が当時どのように見られていたか、同級生たちは今どんなふうに活躍しているか、ちょうど医師5年目を迎えるにあたって色々と気になってきたところでもあります。
2006年3月23日に行われた卒業式の謝恩会と二次会で朝まで語り合って以来、日本各地に散らばってそれぞれの道を歩んできた同級生の面々とまたどこかで再会したいなと最近よく思います。
最近、我が家にも食器洗い乾燥機を買おうかと検討中です。
かつては家庭での皿洗いに機械なんて持ち込む横着者め・・・・という思い、後ろめたさがあったのですが、最近そうも言っていられなくなりまして。
やはり家事負担を軽減して少しでも家族の時間を優先させたいなと。
そう思って電機店へ行ってみたりインターネットで調べてみたら、じつは他の電化製品ほど各社多様な商品が出ているわけではなく、せいぜい5~6種類の選択肢しかないことが分かりました。
どれも私が勝手に想像していた価格よりはるかに安く、意外に省スペースで我が家のキッチンにも十分置けそうでした。あとは各製品について長所短所の比較、ドアの開閉その他細部の使い勝手などを現物で確認してから決めようと思います。
やはり、こういう買い物をするときには店員さんの商品知識と丁寧な説明を売りとするお店で買います。ただ単に価格競争で近隣他店より1円でも安く売ってみせましょうという方針のお店は私の性分に合わないもので。
もちろん前者のようなお店で品定めをしてから最後は後者のお店で買うという卑怯な方法も世の中には存在するのでしょうけどね。ちょっと言葉がきついか・・・・「卑怯な」改め「賢い?」・・・・たとえ賢くなくても私は人と人とのつながりを大切にしていきたいと思います。
しばらく大変なことが続きました。
まず、1月26日に2軒隣のお宅で暮らしていたおじいさんが亡くなりました。最近、都会のほうではどうか分かりませんが、こちらでは地区の班という組織がしっかり残っていて、葬儀の際は班内の各家庭から手伝いを出さなければなりません。うちも例外なく妻が行かざるを得ず、1月29日の通夜、1月30日の告別式と葬儀場での受付などをやってきました。
昨年12月に長女が生まれた関係で今はたまたま義母が来ており、葬儀の手伝いに出ても家で子供たちを見てもらうことができましたが、そうでなければどうなっていたかと思いやられます。義母は有事の際に急遽呼び寄せられるほど近くに住んでいるわけではなく、私も近所のお葬式があるからといって臨時休暇を申請できるような職場に勤めているわけではなく、それでも仕方なく最終手段として仮病でも使うことになるのかといったところです。しかも、義母が来てくれているといっても妻が授乳中の身であることには変わらず、長時間の手伝いの間に乳腺が張って大変だったことは本当に申し訳なく思います。

次に大変だったことは長女の入院です。しばらく風邪気味で咳き込むこともあったので、1月29日に私の前勤務先である総合病院小児科を受診しました。急性細気管支炎の診断で吸入器を貸していただき、2月1日に再診ということになりました。その2月1日、やはり入院が必要ということで急遽入院になり、この月齢の乳児が入院する場合には24時間の付き添いが求められました。病院側の厚意でキッチンやユニットバス付の特別室を用意していただき、そこに家族全員で泊り込むような生活が1週間続きました。ときどき、必要なものを家に取りに行ったり洗濯などの用事を済ませ、私は病室から通勤し、長男も病室から保育園に通い、そして今日ようやく退院できました。おかげさまで、先生や看護士さんたちには大変よくしていただき、今日から我が家での日常に戻ることができました。
うちにとっては試練続きで妻はかなり疲弊しており、今はゆっくり休める時間を少しでも長く確保できるように私が頑張らなければいけません。

1ヶ月健診

2010年1月19日 日常
長女が生まれてから今日でちょうど1ヶ月です。
日中、この子が生まれたクリニックで毎週火曜日午後に行われている1ヶ月健診を受けてきました。幸い、発育は順調で検査所見にも問題なく・・・・ということを先ほど電話で確認しました。(今夜は当直なので)
2歳の長男がとてもわんぱくなので、それに比べると生まれたばかりの赤ちゃんはこんなに静かだったかしら? 長男のときはどうだった? 女の子だからおとなしい? などと色々考えてしまいます。まさか元気がないのかと心配してしまうこともありますが、決してそういうわけではないと思います。ミルクの消費ペースは長男の頃よりも速いくらいですし。
ただ、彼女なりに兄弟の存在を冷静に観察しているかのようなそぶりが感じられ、ときには困惑(困ったお兄ちゃんねえ)、嘲笑(しょうがないねえ)などの赤ちゃんらしからぬ表情を浮かべています。
私のことはどんなふうに見られているのやら・・・・長男と一緒に悪ふざけしてママに怒られている困った大人とでも思われているのかも知れません。
今日は今年初めての当直です。
あらかじめ妻の出産予定日前後2週間は当直を外れていたため(11月まで多めに入っておきました)約1ヶ月ぶりの当直です。
病院の忘年会も欠席の返事をしてあり、ちょうどその忘年会が開かれた昨年12月19日の午前9時27分に3290gで長女が誕生しました。
深夜3時前より陣痛が約10分おきとなり、クリニックに電話したところ即来院を指示され、自宅には長男と義母を残して私の運転でクリニックに向かいました。
あの夜は氷点下5℃位に冷え込み、凍結したフロントガラスを風呂の残り湯で解かしたはずが発進早々に再び結晶を作り出して視界喪失、ワイパーで砕ける部分は砕きながら危なっかしい運転でクリニックにたどり着きました。
通された産室で陣痛に耐える妻の腰をマッサージし続け、助産師さんの定時診察で子宮口の開き具合などをその都度評価し、そうして朝を迎えました。
出された朝食を妻がまともに食べられるはずもなく、もったいないので図々しくも私が8割方いただいてしまいました。
朝8時、職場で当直の同期に今日は休ませていただきますと電話連絡を入れ、そして8時半頃から妻は分娩台に乗りました。
助産師さんに励まされ、リラックスさせていただき、いつも厳しい先生には何度も叱られ、そういうことを繰り返して9時27分に長女が誕生しました。
長男のときもそうですが、誕生の瞬間の感動は今思い出しても涙がこぼれてくるほどです。
取り上げた赤ちゃんの状態を評価して一連の処置を施し、それから妻が抱きかかえて対面、私も交えて記念写真を撮っていただきました。
母子ともにその後の処置や計測を終えてから1時間、そのままリカバリーとして分娩台で親子の時を過ごしました。
分娩台を降りてから病室に移動しましたが、今回は退院まで個室を使わせていただくことにしました。
しばらく病室で休憩し、それから自宅で待機している義母に連絡を入れて長男の昼食などもお願いし、12時過ぎに私は一度帰宅しました。
入院時に持参した以外にも必要な物品、食品、長男のおもちゃ類なども揃え、義母と長男を連れて再びクリニックに戻りました。(そして午後から出勤)
以後、夜間帯以外はなるべく家族全員病室で過ごす日々が退院まで続きました。
朝、私が出勤前に義母と長男を病室へ連れて行き、そこで朝食を摂り、仕事が終われば人数分の夕食と翌日朝食を買って病室に直行、夜9時頃まで家族団らんをして3人は帰宅という日課でした。
残念ながら家族で泊まれる個室は用意されていないクリニックでしたので(面会時間の適用はかなり柔軟かつ寛容にしていただけました)、このような方法が精一杯でしたが、長男はまだママから離れられないどころか第二子誕生が本人にとって衝撃的な事件でもあるので、生まれたばかりの妹を囲む家族の時間を最大限確保するように努めたのは間違っていなかったと思います。
当初、長男はやきもちを焼いて不機嫌に振舞うばかりで大変でしたが、今では興味深げに撫でたりお世話を試みてくれたり・・・・手つきは危なっかしいですがお兄ちゃんらしいところを見せてくれています。
このように子供たちの健やかな成長を励みに、私も親として日々成長していきたいものと思います。

命名

2009年12月12日コメント (1)
妻が妊娠38週を迎え、いよいよ2人目の子供がもうすぐ産まれます。
悩むのが命名のことですね。
もう何ヶ月も前から候補は色々と考えていて、ほとんどは音の響きや漢字の意味を優先に検討していたのですが、ここにきて干支との相性や画数を含めて検証していったら意外に難航しました。
いい名前だと思っても丑年の子にはふさわしくなかったり、私の苗字と画数を合わせた場合にはベストな選択といえなかったり・・・・おまけに妻が漢字のことを学者顔負けに詳しいので(命名のために研究したわけでもなく)私が知らないような裏の意味まで知っていて却下されたり、そんなことが続きました。
名前なんて深読みしすぎず気楽に考えればよいのかも知れませんが、やはりその子が一生背負っていく名前(苗字は変わるかもしれませんが)には親として責任を持たなければいけないと思い、上の子もまだ2歳ながら心なしか名前なりのイメージで育っているように感じる部分が多々ありますので、後悔のない命名をしてあげなければと考えています。
今、やっとこの名前でというものが決まり、あとは無事に産まれてきてくれることを待ちわびています。

交通安全協会

2009年12月8日
先日、運転免許センターで免許の更新をしてきました。
はっきりいって言いがかりに近いような事案で違反点数を付けられたおかげで、違反者講習を2時間も受けさせられました。
講習を受けるのがバカバカしいことは承知済みだったため、あらかじめ高校生の頃の“授業中の内職”よろしく趣味の鉄道写真集を持参し、それなりに楽しんできました。
それにしても、ただでさえ法外に高い更新料を支払う窓口で同じ職員から同時に徴収される「交通安全協会への寄付金」なるもの、あれはいったい何なのかと不思議でなりません。
もちろん私は免許取得時も含めて支払いに応じたことはなく、それは今後も同様なのですが。
原則任意と謳いつつ正規の更新手続きから一連の流れの中で加入を勧められ、「交通安全協会にご協力いただけますか?」と聞かれるままに案外無抵抗に支払ってしまう人の多さに驚きました。
私は意味不明な警察官天下り組織に1円たりとも協力するつもりはないので「遠慮しておきます」と即答するのですが、事情を知らない人が「協力いただけますか?」の問いかけに対して拒否することの後ろめたさや罪悪感を抱くことは大いに予想されますね。
そこにつけこんで・・・とは言い過ぎですが、せめて任意加入であることを十分に周知徹底した上で徴収される形式、せめて別の窓口で扱うようにしなければ詐欺的ではないかと痛感しました。
もちろん交通安全は社会的に重要なんですけどね、何も御大層な“協会”に頼らなくても個々人の心がけで達成すべきものと私は考えています。
前回の日記更新から1年4ヶ月ぶりになります。
色々な方々の日記はこまめに拝見しているのですが、いざ自分で書くとなると億劫で、ついご無沙汰してしまいました。
医者の仕事をしていると日々のカルテはもちろんですが雑多な書類も多くて、しかもそのような書き物が特に多いのではと思われる科のため、仕事を離れて個人の日記にまで手が回るほど要領の良くない私でした。
そんなこんなで多くても年に数回ペースの更新でしたが、これからは気楽に構えて短文をこまめに書いていこうかなと考えています。

ここ何年かの経過を簡単にまとめると・・・・

2005年 6月 少しずつ医師国家試験の勉強を始める
2005年 7月 研修病院選びのため幾つか見学してみる
2005年 8月 卒業試験準備の傍ら、研修病院の試験と面接を受ける
2005年 9月 週2~3科目のペースで11月まで卒業試験が続く
2005年10月 研修病院のマッチングで2年間の勤務先が内定
2006年 1月 アルバイト先の塾や家庭教師でも受験シーズンに突入
2006年 2月 トリノ冬季五輪の最中、医師国家試験を受験
2006年 3月 旅行や引越しなど気ままに過ごし、月末に国家試験合格を確認
2006年 4月 母校の大学病院で研修医1年目が外科からスタート
2006年 5月 初めてもらえた休日に役所へ行って入籍の手続き
2006年10月 内科研修が始まって幾らか能動性と自主性を示せるようになってきた
2006年12月 妻が妊娠
2007年 3月 大学病院での1年目を終了、2年目の病院がある栃木県へ引越し
2007年 4月 市中病院で2年目の研修開始
2007年 7月 焦燥感に満ちた救急外来当番を以後毎週続けることになる
2007年 8月 長男誕生
2007年 9月 現在の病院での後期研修が内定
2007年 9月 栃木県を気に入り、ここでの永住を決意
2007年10月 ふとしたことから好条件の自宅用地を発見、購入
2007年10月 自作の自宅図案を住宅メーカー数社に持参、見積り、1社と契約
2007年11月 休日のたびに住宅メーカー担当者と打ち合わせを重ねる
2007年12月 自宅の建築工事開始
2008年 2月 気付けば初期研修終了が迫り、膨大な症例からレポート整理を始める
2008年 3月 2年目の病院で初期研修終了、辛さよりも感謝の念ばかり残る
2008年 3月 新居完成、2年目病院の借上げ住宅から引越し
2008年 4月 埼玉県の民間病院で専攻科の後期研修開始
2008年 4月 新居での生活を待っていたかのように長男がハイハイを始める
2008年 8月 長男が1歳を迎え、一人歩きを始める
2009年 1月 外来診療の枠を与えられる
2009年 4月 初めて転勤がなく同一病院での2年目を迎える
2009年 4月 週1回、関連クリニックでの診療枠も与えられる
2009年 4月 妻が第二子妊娠
2009年 8月 長男が2歳を迎え、わんぱく三昧で自宅は惨憺たる状況
2009年10月 長男が保育園に通い始め、遅いながらも言葉が日々増えている
2009年11月 妻のお腹がどんどん大きくなり、長男は幾分赤ちゃん返りの様相
2009年12月 妻が第二子出産予定

気分的にはついこの前までお気楽な学生だったはずなのに、振り返ってみれば家庭も仕事も数年間で状況が一変していました。
この先どうなるかは神のみぞ知るところですが、確実に増えていくのは「責任」、この一言に尽きると思います。
確実に減らしていきたいのが「借金」、住宅ローンを毎月毎月どうにか滞りなく返済しています。
今、日本の将来は・・・・日本の医療は・・・・云々と考える余裕もなく、日々の生活で精一杯ですが、最も大切な小国家である家族の幸せを第一に考えて生きようと心がけています。  

当直

2008年7月15日
今夜は当直です。
今の勤務体制では毎週火曜日に当直をすることになっていて、勤務医の過酷な労働環境をしきりに報じられている昨今からすれば、僅か週1回の当直で安穏と過ごしている私などは働いていないも同然に思われてしまうのかも知れません。
それでも家族と一緒に過ごせない日があるというのは、たとえそれが週1日でも寂しいことこの上ありません。
幸い、今の時代はパソコンとウェブカメラを使えば簡単にテレビ電話をできますので、今夜もモニターを通じて暫しの家族団欒を楽しめましたが。
そもそも450床の病院で、20年目以上の院長でも毎週の当直に組み込まれているような現状では、私のような下っ端が当直云々というのもおこがましい限りです。
せめて明日の夕方は少しでも早く帰れるように願いつつ、仕事に励もうと思います。
ごぶさたしております。
ほぼ1年ぶりの日記更新でしょうか。
今日から日記のタイトルを「勤務医pandaの日記」へ変更しました。
医学部5年生だった2005年初頭に「’06医師国試受験予定者の日記」と題して書き始め、それから2006年4月に「研修医pandaの日記」へ変更、そして初期臨床研修を終えたことを機に現タイトルとさせていただきました。
実際は研修医の頃からも勤務医であり、そして“初期”研修を終えた今でも専攻科の“後期”研修に入っただけで所詮は研修医に過ぎず、つまり今回のタイトル変更では私の立場がどのように変わったのか正確に説明できていません。
と、そういう回りくどい説明はともかく、また少しずつ日記を書いていこうと思います。

結局、初期研修医としての2年間では僅か数回しか日記を更新できませんでした。
日記を書く時間も作れないほど仕事が忙しかったのかといえば、必ずしもそうではなかったと思いますが、医師になった直後に結婚して、やがて子供も授かり、そういう中で病院の仕事と家族の時間との間に日記を書くだけの余地がほとんど残されていなかった(精神的な意味も含めて)というのが実情でしょうか。
その状況は今後も大きく変わらないと思うものの、当直をしている今夜のように外来が閑散として病棟も落ち着き、子供が寝る前に家へ電話を済ませ、さて何もすることがなくなった、しかし自分は眠くない、そんなときを利用しながら寂しさを紛らすように日記を書いていこうかなと思っています。
今日は近所にある某自動車メーカー販売店の新車試乗会に行ってきました。
この会社は1500cc以上だと僅か3車種しか作っていなくて、その代わりに一点豪華主義とでもいうのでしょうか、それぞれに心血を注ぎ会社の顔として自信を持って世に送り出している、そんな経営方針のようです。
確かに、この会社のステーションワゴンはかなりの名車で、この車の売れ行きしだいで会社の運命が決まっているのではないかと思うほど、かなりの台数が街中を走り回っています。
そんな名車の弟分的存在にあたる1500cc〜2000ccクラスの車種が近頃モデルチェンジをして、私はその試乗会に行ってきたしだいです。
もともと車検が迫ってきた私の車が年式面で限界に近付き、さらに家庭環境の変化もあったため、この機会に手頃な価格で新車に乗り換えられないものかと検討していた候補の一つが今回の試乗車でした。
というのが試乗会に行った理由の70%ほどで、あとは無料で憧れの新車を運転できる、見積もりを聞きながら冷たいコーヒーや紅茶をご馳走になれる、お土産にその車の模型までいただける(これが一番嬉しい!?)・・・そんな動機が各10%ずつといったところでしょうか。
行ってみての感想としては、かなり満足のいくものでした。
元高校球児のような風貌で私ともほぼ同世代ではないかと思われる販売員さんが熱心に説明してくださり、私があらかじめ対抗馬に挙げている他社の車種とも違いを比較してみせ、それでいて我田引水的に優劣を論じるわけでもなく、この車の良さを一人でも多くのお客様にお届けしたいという気持ちが前面に出ている印象を受けました。
もちろん販売実績が報酬に直結する彼らとしてはそれが当然のことなのでしょうが、事情がどうであれ私という無知で資金も乏しい顧客に満足感を与えられた時点で商談は7割方成立しています。
一応、今日の時点では即答をせずに見積もりを持ち帰らせていただきましたが、ほぼ気持ちは固まっています。
あとは対抗馬としている車種のほうも試乗と見積もりに行ってみて、義理人情に流されることなく冷静な比較分析もしなければと自戒しているところではありますが。
最終決断を下すまで、もう暫く時間をおいて検討を重ねたいと思います。

新しい環境

2007年5月24日
大学病院での1年目の研修を終え、4月からは隣々県にある民間病院で2年目の研修をさせていただいております。
いわゆる地方病院で、医師不足問題に関する報道では「新臨床研修制度発足以来、研修医が大都市の病院にばかり集まってしまう。」などと盛んに報じられていますが、それとは逆行するかのように、私は2年目に今の病院へ行けることが目当てで大学病院のプログラムを選びました。
やはり病院の性格のみならず土地柄の違いも大きく影響しているのでしょうか、極端に言えば研修医がまるで眼の敵のようにさえ扱われることもあった環境から一変し、こんなにコメディカルの方々に協力的に働いてもらって良いものかと訝しがるくらい、心穏やかに研修をさせていただいております。
生活環境も静かな田園地帯で(端的に言えば農村ですが)、田圃からは毎晩蛙の鳴き声が心地良く響き渡っています。
かつては喉の不調を年中訴えていた妻も、こちらへ引っ越してからは症状がすっかり消え、私にはそこまで実感がないものの空気がきれいという証拠なのでしょうか、この環境をかなり気に入ってくれています。
あくまでも私は研修医として赴任した立場ですので、3年目となる来年からはどうするのか、またあらためて決断しなければいけないのですが・・・ここが悩ましいところですね。
今の病院で引き続き後期研修をさせていただくか、しかし専門医取得など医師としての方向性を考えた場合には別の施設(大学医局? 独自採用の民間病院?)を選ぶべきなのか、とはいえ今の生活環境は捨て難く、こういう土地で子育てもできたらいいなと考えたり・・・学生時代の進路選択では影の薄かった価値観がむしろ支配的になっているのが現状です。
本当に、どうすればいいのかな。
と、いくら悩んだところで、優柔不断な私がなかなか決められないことは確かです。
とりあえずは今の病院から「来年も残っていいよ。」と声をかけていただけるように、欲を言えば「ぜひ来年も残って!」と勧誘していただけるように、望まれる人材たることを目指して日々の研修に励むつもりです。

あれから1年

2007年2月18日
あれから1年
暫く日記から遠ざかっているうちに前回の書き込みから7ヶ月以上も経過してしまいました。
今、ちょうど世の中では試験シーズンですね。
大学入試、そして昨日から第101回医師国家試験も全国各地で行われています。
思えば私自身も1年前、ホテルでトリノ冬季五輪のフィギュアスケートやカーリング中継を観ながら直前まで最終確認をしていたことを懐かしく思い出します。
あっという間に1年が過ぎ去ってしまったかと思う反面、その間の経験や環境変化を一つ一つ振り返ってみれば決して短い1年ではなかったなと感じています。
ただでさえ外科研修から始まったという事情もあり、初めは分からないことばかり、戸惑いと暗中模索の日々で自分が何をしているのかさえ理解に苦しむことも多々ありました。
それが10月から内科研修が始まって担当患者さんを持つようになると、やっと腰を落ち着けて自分なりに治療方針を考えたり必要な検査を組むことができるようになり、徐々に基本手技で戦々恐々とする必要もなくなってきたので無駄なストレスなく患者さんと向き合えるようになってきました。
そうこうするうちに大学病院での研修もそろそろ終わりに近づき、4月からは遠く離れた県の病院へ異動となります。
さすがに今度の引っ越しは去年のように自転車と自家用車で往復しながら済ますわけにもいかず、そろそろ引っ越し業者さん探しを考えなければいけません。
幼少時から住み慣れた土地を離れて全く縁もゆかりもない地に赴くのは不安ですし、大学病院での勤務を終了してから僅か数日間で転勤を完了させなければいけないことが本当に可能かどうか、かなり自信がありません。
こんなふうに引っ越しを毎年繰り返すとしたら落ち着きませんので、今度赴任する病院の感触が良ければ3年目も後期研修医として残らせていただけないものかと本気で考えています。
もちろん、人生の大事な選択で引っ越しを物差しにするのは不適当かと思う反面、つまらなそうな基準でも自分にとって重きを成すものであれば、それに従うことが結果的に良い方向へ導かれるのかなという考えもあります。
・・・と、あれこれ屁理屈を考えながら、とにかく引っ越し嫌いに象徴される保守的な私という存在を改めて実感しています。
研修医生活3ヶ月経過
早いもので研修医生活も3ヶ月が過ぎました・・・・と安易に「早いもので」という言葉を使いかけましたが、よく思い返してみると最初の3ヶ月間は全然短くありませんでした。
ただ単に勤務時間の長短や業務内容の量という問題ではなく、公私共に新しい環境で変化に富む生活を送ってきたため、まるで小学校1年生の1学期当時を思い出すようでした。
ローテート研修が必修化された現制度の研修医である以上、ある一定期間ごとに各科を回れば環境が変わって表面上は刺激的な日々となり得ますが、ここは遠足の工場見学と違いますので、お客さん気分でボーっと眺めていると何も得られないまま終わってしまいます。
外部からの刺激を自己の成長へ活かすためには、むしろ自分のほうこそ精巧なレーダー網を張り巡らす努力が求められますね。
最近、ようやく自家製のレーダーが少しずつ稼動し始めたかなと感じているところです。
まだ強風で倒れてしまいそうな弱々しいアンテナが数本立っているだけですが、1本また1本と拡充して臨床能力向上に役立てていきたいと思います。

意識改革

2006年6月17日
意識改革
長らく日記から遠ざかっておりました。
前回、研修医3日目のオリエンテーション期間中に書いて以来の更新となります。
最初の2ヶ月は肝胆膵外科に配属され、朝は6時半から病棟で採血を始めて帰宅は夜12時近くという日々に埋没していました。
また、医師として習得すべき知識や手技は山のようにありますが、それと同時に病院という組織の中で動いていくための手続き関係が意外に煩雑で(例えば検査オーダーの出し方や他科受診の依頼、手術室への申し込みなど)、そういう意味で初めは事務仕事を覚えて体が病院馴れしていくまでも一苦労でした。
今は漸く右も左も分からず突っ走ってきた時期を過ぎ、そろそろ上からの指示を受けて履行するだけの“作業員”を卒業しなければいけないなと意識改革の必要性を強く感じているところです。
やはり研修医というのは単なる研修制度上の呼称であって、ベテランの専門医であろうが1年目の研修医であろうが患者さんからは医師として見られ、それ相応の期待をされているということを肝に銘じなければいけません。
もちろん現実として上級医との間には知識も経験も圧倒的な差があり、それ自体は仕方ないことなのですが、時間さえ経てば自分もいつかは同じ領域へ到達できているだろうと誤解して漫然と今を過ごしていれば永遠に進歩は望めない、このまま見かけ上の経験年数だけ増していけば本当のダメ医者になるだろう・・・と、今までの自分の姿勢を反省し始めています。
このような思いを文章として残しておくために、今日は久しぶりに日記を更新してみました。
では、またネジを巻き直して頑張りましょう。

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