懺悔
2005年6月9日本来、木曜日にある家庭教師のバイトは電車で遠くD市まで行きます。今日も地元A駅でいつもの時間の電車に乗り、バイト先に向かっていました。すると、車中でマナーモードの携帯が振動し、バイト先のお母様からの電話でした。
何か嫌な予感がしますね。お母様の話によると・・・・生徒の通う中学校で事件が起き、今から全校生徒と保護者が集められて緊急の集会が開かれるので、今日の授業は中止ということでお願いします・・・・とのことでした。
既に私が電車に乗ってしまっていることは先方もご存知ですが、こういう事情なら仕方ないですね。今回の分の交通費は必ずお支払いしますとおっしゃっていただいて(当然のことですが)、それはそうと何の事件なのか気になります。
これから保護者まで呼んで緊急集会を開くということで、少なくとも避難を要するような不審者乱入殺人事件などではないことは明らかですが。まあ、変なことを想像するときりがありませんので、後で生徒やお母様から話を聞くまでは考えないようにしておきます。
さて、事件のことはともかく、電車の中でキャンセルの連絡を受けた私はどうするでしょうか。
まず、地元A駅では目的地D駅までの切符(570円)を買いました。そして、連絡を受けた直後の途中C駅で降りました。途中C駅から地元A駅までの運賃は320円です。
1:降りたC駅で改札を出て、新たに320円の切符を買ってA駅へ帰る。
2:降りたC駅では改札を出ず、A駅の直前B駅まで戻ってから改札を出る。そこで140円の切符を買い直してA駅へ帰る。
JRの規則に従えば1のようにやらなければいけませんね。もちろん私もお母様には1として交通費890円の請求をさせていただきます。そうでないと逆に人格を疑われますので。しかし、少しずる賢く2のようにすれば180円を節約できますね。
それでは私は2を選択したかといえば、そうではありません。連絡後に途中下車したC駅で改札を出ず、そのまま一気にA駅まで戻りました。以下はA駅での私と駅員さんの会話です。
私:「あの、すみません。(570円の切符を見せながら)これでD駅まで行くつもりだったんですけど、急に行く予定の用事が流れてしまいまして、このまま入場券代わりに出てしまってもよろしいでしょうか。(この時点で私は320円を節約するつもり)」
駅員:「まだ電車には乗っていないんですよね?」
私:「はい、まだです。(そこで取引は終了のつもり)」
駅員:「(電卓で570−130=440と計算)それでは、入場券ということで440円をお返し致します。」
私:「(えっ、ラッキー!)あっ、すみません。ありがとうございます。」
そういうわけで、もはや諦めていた最初の570円からも返金があり、ついに760円を節約できました。後日、お母様から正規の890円をいただいた時点で760円の収入になります。さらに、「いいえ、先生には申し訳ないですから、普段通りの往復1,140円としてお支払いします。」などと言われれば、1,010円の収入になります。実際、後者の可能性のほうが高いとは思いますが。
確かに、どんな事情があったとしても結果的に私は多大な無駄時間を過ごすことになりましたので、交通費の実費だけをいただいて済む問題ではありません。かといって、その辺のことを顕に言ってしまえば、それはそれで角が立ちます。本当に難しいです。
しかし・・・・しかしですよ・・・・私の犯したことは、一個人のやり取りとは全く無関係なはずのJRに対しては詐欺行為以外の何物でもありません。身勝手な価値観に基く詐欺行為で一企業に損害を与え、しかも不正から得た幸運に一瞬たりとも喜びの感情を抱いてしまった私は、もはや「医は仁術」などと奇麗事を述べられる立場にありません。だからといって今から警察に出頭する勇気はありませんし、医師国家試験の受験を辞退するだけの倫理観もありません。
今回の件は金銭による数値化をできる犯罪行為ですが、これに限らず私は理性による支配の内外で無数の罪を犯しているはずです。それでも今となっては医師を目指さざるを得ないという矛盾を解決するものはあるのでしょうか。
これから研修希望病院の選考試験で、「あなたが医師を目指した動機は何ですか?」などと問われることは十分に予想されます。きっと面接官の前では無難な回答で上手く切り抜けてしまうのでしょうが、そんな自分がいざ患者様の前で本心から真正面に向き合えるのだろうかと、今日の詐欺体験は終生忘れえぬ暗闇として燻り続けるものかも知れません。
何か嫌な予感がしますね。お母様の話によると・・・・生徒の通う中学校で事件が起き、今から全校生徒と保護者が集められて緊急の集会が開かれるので、今日の授業は中止ということでお願いします・・・・とのことでした。
既に私が電車に乗ってしまっていることは先方もご存知ですが、こういう事情なら仕方ないですね。今回の分の交通費は必ずお支払いしますとおっしゃっていただいて(当然のことですが)、それはそうと何の事件なのか気になります。
これから保護者まで呼んで緊急集会を開くということで、少なくとも避難を要するような不審者乱入殺人事件などではないことは明らかですが。まあ、変なことを想像するときりがありませんので、後で生徒やお母様から話を聞くまでは考えないようにしておきます。
さて、事件のことはともかく、電車の中でキャンセルの連絡を受けた私はどうするでしょうか。
まず、地元A駅では目的地D駅までの切符(570円)を買いました。そして、連絡を受けた直後の途中C駅で降りました。途中C駅から地元A駅までの運賃は320円です。
1:降りたC駅で改札を出て、新たに320円の切符を買ってA駅へ帰る。
2:降りたC駅では改札を出ず、A駅の直前B駅まで戻ってから改札を出る。そこで140円の切符を買い直してA駅へ帰る。
JRの規則に従えば1のようにやらなければいけませんね。もちろん私もお母様には1として交通費890円の請求をさせていただきます。そうでないと逆に人格を疑われますので。しかし、少しずる賢く2のようにすれば180円を節約できますね。
それでは私は2を選択したかといえば、そうではありません。連絡後に途中下車したC駅で改札を出ず、そのまま一気にA駅まで戻りました。以下はA駅での私と駅員さんの会話です。
私:「あの、すみません。(570円の切符を見せながら)これでD駅まで行くつもりだったんですけど、急に行く予定の用事が流れてしまいまして、このまま入場券代わりに出てしまってもよろしいでしょうか。(この時点で私は320円を節約するつもり)」
駅員:「まだ電車には乗っていないんですよね?」
私:「はい、まだです。(そこで取引は終了のつもり)」
駅員:「(電卓で570−130=440と計算)それでは、入場券ということで440円をお返し致します。」
私:「(えっ、ラッキー!)あっ、すみません。ありがとうございます。」
そういうわけで、もはや諦めていた最初の570円からも返金があり、ついに760円を節約できました。後日、お母様から正規の890円をいただいた時点で760円の収入になります。さらに、「いいえ、先生には申し訳ないですから、普段通りの往復1,140円としてお支払いします。」などと言われれば、1,010円の収入になります。実際、後者の可能性のほうが高いとは思いますが。
確かに、どんな事情があったとしても結果的に私は多大な無駄時間を過ごすことになりましたので、交通費の実費だけをいただいて済む問題ではありません。かといって、その辺のことを顕に言ってしまえば、それはそれで角が立ちます。本当に難しいです。
しかし・・・・しかしですよ・・・・私の犯したことは、一個人のやり取りとは全く無関係なはずのJRに対しては詐欺行為以外の何物でもありません。身勝手な価値観に基く詐欺行為で一企業に損害を与え、しかも不正から得た幸運に一瞬たりとも喜びの感情を抱いてしまった私は、もはや「医は仁術」などと奇麗事を述べられる立場にありません。だからといって今から警察に出頭する勇気はありませんし、医師国家試験の受験を辞退するだけの倫理観もありません。
今回の件は金銭による数値化をできる犯罪行為ですが、これに限らず私は理性による支配の内外で無数の罪を犯しているはずです。それでも今となっては医師を目指さざるを得ないという矛盾を解決するものはあるのでしょうか。
これから研修希望病院の選考試験で、「あなたが医師を目指した動機は何ですか?」などと問われることは十分に予想されます。きっと面接官の前では無難な回答で上手く切り抜けてしまうのでしょうが、そんな自分がいざ患者様の前で本心から真正面に向き合えるのだろうかと、今日の詐欺体験は終生忘れえぬ暗闇として燻り続けるものかも知れません。
気分の浮き沈み
2005年6月8日国家試験の勉強をしていると y = sinX のグラフのように気持ちが揺れ動きます。
「あぁ、これでは絶対に落ちる・・・・」と沈んだ気持ちになったり、「この調子なら大丈夫。合格できる!」と自信を持てたり。いつもその繰り返しです。
要求される知識量は年々膨大になり、年配の先生方から見れば隔世の感があるほど国試は難化しているのが現状です。しかも合格率は低下するし・・・・もう、最悪ですね。
そうは言っても基本的に医師国試は合格を前提とする試験です。司法試験や会計士試験とは根本的に性格が異なります。医学部に入学した者が人並みに適切な勉強を積みさえすれば必ず合格できるはずの試験です。実際に自分の周囲で知る限り合格率は全国平均以上で、落ちたという人の話はあまり聞きませんので。
しかし、それは皆が頑張ってきた結果であって、「あの人でも受かったんだから、自分も大丈夫だろう。」という発想を持たないように自分を戒めています。 よく、切羽詰ってからの大逆転劇のように合格体験を語る人がいますが、概ねその類の体験記には虚飾が入っていますので、やはり凡人は凡人らしく時間をかけて地道に勉強を積んでいかなければ太刀打ちできません、そう考えるようにしています。
さて、冒頭に述べた気分の浮き沈みですが、これは単なる気分の問題ではありません。
全科を通じて膨大な知識を求められますので、やはり自分の中で分野ごとに知識の濃淡があります(実際は“淡”ばかり・・・)。その濃淡が問題を解くことによって見えてきますので、“濃”の部分で調子良く正解できれば自信になり、“淡”の部分で手も足も出なければ絶望感にさいなまれます。
でも、受験の数学や物理のように発想力を要求されることはありませんので、とにかく知識量を蓄えるだけのことです。知らなかったものは今から覚えればいい、知っていたものは忘れずにおけばいい、その繰り返しです。
そういう意味で気分の浮き沈みは歓迎すべきことで、自分の知識分布を即座に感知できるおかげで効果的な勉強が可能となります。今はまだ y = sinX のグラフのようかも知れませんが、これからの努力しだいで y = n という直線に近付いていけると思います。
さあ、頑張っていきましょう!
「あぁ、これでは絶対に落ちる・・・・」と沈んだ気持ちになったり、「この調子なら大丈夫。合格できる!」と自信を持てたり。いつもその繰り返しです。
要求される知識量は年々膨大になり、年配の先生方から見れば隔世の感があるほど国試は難化しているのが現状です。しかも合格率は低下するし・・・・もう、最悪ですね。
そうは言っても基本的に医師国試は合格を前提とする試験です。司法試験や会計士試験とは根本的に性格が異なります。医学部に入学した者が人並みに適切な勉強を積みさえすれば必ず合格できるはずの試験です。実際に自分の周囲で知る限り合格率は全国平均以上で、落ちたという人の話はあまり聞きませんので。
しかし、それは皆が頑張ってきた結果であって、「あの人でも受かったんだから、自分も大丈夫だろう。」という発想を持たないように自分を戒めています。 よく、切羽詰ってからの大逆転劇のように合格体験を語る人がいますが、概ねその類の体験記には虚飾が入っていますので、やはり凡人は凡人らしく時間をかけて地道に勉強を積んでいかなければ太刀打ちできません、そう考えるようにしています。
さて、冒頭に述べた気分の浮き沈みですが、これは単なる気分の問題ではありません。
全科を通じて膨大な知識を求められますので、やはり自分の中で分野ごとに知識の濃淡があります(実際は“淡”ばかり・・・)。その濃淡が問題を解くことによって見えてきますので、“濃”の部分で調子良く正解できれば自信になり、“淡”の部分で手も足も出なければ絶望感にさいなまれます。
でも、受験の数学や物理のように発想力を要求されることはありませんので、とにかく知識量を蓄えるだけのことです。知らなかったものは今から覚えればいい、知っていたものは忘れずにおけばいい、その繰り返しです。
そういう意味で気分の浮き沈みは歓迎すべきことで、自分の知識分布を即座に感知できるおかげで効果的な勉強が可能となります。今はまだ y = sinX のグラフのようかも知れませんが、これからの努力しだいで y = n という直線に近付いていけると思います。
さあ、頑張っていきましょう!
医学教育終了!?
2005年5月28日ついに今週で後期クリニカル・クラークシップ(以下CC)が終わりました。
昨夜、名目上はCCの反省会と称して先生に飲みに連れて行っていただきました。参加者は私、同じく後期CCで一緒の科を回った同級生、検査技師さん、先生2人という構成でした。
CCが終わったということは、ついにこれで医学部の教育で実習と名の付くものは全部終了です。あとは6月後半の2週間に意味不明な総合講義を受けて、最後に9月からの卒業試験を待つばかりです。
総合講義は本当に意味不明なので(講義中に国試勉強の内職をする可能性が高い!?)、学生の感覚としてはCC終了が医学教育終了とほぼ同義です。
そう考えると非常に感慨深いですね。もちろん医学教育終了から医師教育開始までに厚い壁はありますし、そこは自己責任でこれから乗り越えなければならないのですが、とにかく○○大学から用意されたカリキュラムの中で受ける教育は全うしました(本当に大丈夫・・・不安Max!?)。
今は本当に色々な思いが交錯しています。
CCが終われば、次に白衣を着て患者さんの前に現れるときには研修医の立場になっています。“研修”という言葉が添えられても医師免許を交付された医師であることには変わりありませんので、その立場の変化は絶大です。医学教育終了時に身に付いている技量なんて、全体から見れば銀行の金利以下ではないでしょうか。少なくとも私自身についてはその程度だと思っています。
それでも今後の試験は机上の勉強で得た知識だけで対処できてしまいますので(もちろん勉強量は史上最強に大変ですが・・・・)、本当にこれでよいのかという疑念と不安でいっぱいです。恐ろしいです。
いや、不安だの恐ろしいだのと暢気なことを言っている場合ではありません。国で定めた制度に乗っ取っていく限り、こんなバカ医学生たる私でも国試さえ通れば“医師”です。
・・・・と、こんなふうに危機感を煽るように述べつつ、国試“さえ”と簡単に流している部分が今の私にとってはチョモランマ級です。その断崖絶壁を1mでも10mでもいいから地道に登りつめようという作業がこれから9ヶ月での私の“仕事”です。
この期に及んで変な言い方かも知れませんが、医学部に入学した者が正規のカリキュラムを全うしてしまえば後戻りが効きません。
もちろん後戻りをするつもりは毛頭ありませんので、このままバカ医学生たる私が国家のお墨付きをいただいて医師免許を手に入れるべく誠心誠意努力致します!
昨夜、名目上はCCの反省会と称して先生に飲みに連れて行っていただきました。参加者は私、同じく後期CCで一緒の科を回った同級生、検査技師さん、先生2人という構成でした。
CCが終わったということは、ついにこれで医学部の教育で実習と名の付くものは全部終了です。あとは6月後半の2週間に意味不明な総合講義を受けて、最後に9月からの卒業試験を待つばかりです。
総合講義は本当に意味不明なので(講義中に国試勉強の内職をする可能性が高い!?)、学生の感覚としてはCC終了が医学教育終了とほぼ同義です。
そう考えると非常に感慨深いですね。もちろん医学教育終了から医師教育開始までに厚い壁はありますし、そこは自己責任でこれから乗り越えなければならないのですが、とにかく○○大学から用意されたカリキュラムの中で受ける教育は全うしました(本当に大丈夫・・・不安Max!?)。
今は本当に色々な思いが交錯しています。
CCが終われば、次に白衣を着て患者さんの前に現れるときには研修医の立場になっています。“研修”という言葉が添えられても医師免許を交付された医師であることには変わりありませんので、その立場の変化は絶大です。医学教育終了時に身に付いている技量なんて、全体から見れば銀行の金利以下ではないでしょうか。少なくとも私自身についてはその程度だと思っています。
それでも今後の試験は机上の勉強で得た知識だけで対処できてしまいますので(もちろん勉強量は史上最強に大変ですが・・・・)、本当にこれでよいのかという疑念と不安でいっぱいです。恐ろしいです。
いや、不安だの恐ろしいだのと暢気なことを言っている場合ではありません。国で定めた制度に乗っ取っていく限り、こんなバカ医学生たる私でも国試さえ通れば“医師”です。
・・・・と、こんなふうに危機感を煽るように述べつつ、国試“さえ”と簡単に流している部分が今の私にとってはチョモランマ級です。その断崖絶壁を1mでも10mでもいいから地道に登りつめようという作業がこれから9ヶ月での私の“仕事”です。
この期に及んで変な言い方かも知れませんが、医学部に入学した者が正規のカリキュラムを全うしてしまえば後戻りが効きません。
もちろん後戻りをするつもりは毛頭ありませんので、このままバカ医学生たる私が国家のお墨付きをいただいて医師免許を手に入れるべく誠心誠意努力致します!
精神科
2005年5月21日5月はクリニカル・クラークシップの後期でした。
私の大学ではクリニカル・クラークシップを前期と後期の2期に分けていて、それぞれで1つずつの科を選んで協力病院(または大学病院)にて実習をすることになっています。
私は前期で大学のすぐ近くにある市立病院の精神科、後期で大学病院の光学医療診療部を選びました。宿泊などが必要な遠い病院を選んでしまうとバイトに支障をきたすからという不真面目な動機で近場を選びましたが、学業継続と生活のためにバイトを欠かせない私にとっては大真面目な動機です。
もっとも、研修先の病院を決めるのとは訳が違いますので、どこで実習しようが結局は自分のヤル気しだいで何とでもなります。こちらから食い付いていけば、それなりのものは返ってきます。
私が前期で精神科を選んだのは、じつは第一希望だった同院内科を同級生も希望していたために他科へ移った結果だったのですが、それでも終わってみれば最高の選択だったと思えるような実り多き実習をさせていただくことができました。このまま将来は精神科に進もうかと思うほど、この期間は自分の中で精神科医になりきっていました。
世の中の人は「精神科」という言葉を聞くと、それは患者としても医師としても一種の特別な存在を想像し、ここだけ他科と一線を画す別世界だと思われがちですが(だからこそ精神科志望と公言して医学部を目指す人も多いのでしょうか?)、人間の体の中で身体疾患と精神疾患が白と黒のように全く独立に存在するわけではありません。精神科病棟の患者さんが身体疾患を抱えていても不思議ではありませんし、他科入院中の患者さんが術後せん妄やアルコール離脱症候群を呈することも日常茶飯事です。
そのようなことを実習期間を通じて深く学ばせていただき、私の目指す医師像にも大きな影響を受けました。基本路線としては内科系へ進むことを考えている私ですが、ある境界的な症状を目の当たりにした際に該当する身体疾患と精神疾患を常に並列に考えて鑑別していけるようになりたい、そうならなければいけないと思いました。
まだ不勉強な私は知らないことだらけの恥ずかしい医学生ですが、少しでも何かを学ぶと次々に他とのつながりが登場して奥の深さを痛感し、このような驚きと感動を求める姿勢は仮に医師として長年の経験を積んだ立場になれても持ち続けたいものだと思っております。
こんな偉そうなことを言っても、まずは医師になれなければ戯言で終わってしまいますね。たとえ最下位でも構わないので、とにかく卒業と国試合格を確実に果たせるように気持ちを引き締めて頑張っていきます。
私の大学ではクリニカル・クラークシップを前期と後期の2期に分けていて、それぞれで1つずつの科を選んで協力病院(または大学病院)にて実習をすることになっています。
私は前期で大学のすぐ近くにある市立病院の精神科、後期で大学病院の光学医療診療部を選びました。宿泊などが必要な遠い病院を選んでしまうとバイトに支障をきたすからという不真面目な動機で近場を選びましたが、学業継続と生活のためにバイトを欠かせない私にとっては大真面目な動機です。
もっとも、研修先の病院を決めるのとは訳が違いますので、どこで実習しようが結局は自分のヤル気しだいで何とでもなります。こちらから食い付いていけば、それなりのものは返ってきます。
私が前期で精神科を選んだのは、じつは第一希望だった同院内科を同級生も希望していたために他科へ移った結果だったのですが、それでも終わってみれば最高の選択だったと思えるような実り多き実習をさせていただくことができました。このまま将来は精神科に進もうかと思うほど、この期間は自分の中で精神科医になりきっていました。
世の中の人は「精神科」という言葉を聞くと、それは患者としても医師としても一種の特別な存在を想像し、ここだけ他科と一線を画す別世界だと思われがちですが(だからこそ精神科志望と公言して医学部を目指す人も多いのでしょうか?)、人間の体の中で身体疾患と精神疾患が白と黒のように全く独立に存在するわけではありません。精神科病棟の患者さんが身体疾患を抱えていても不思議ではありませんし、他科入院中の患者さんが術後せん妄やアルコール離脱症候群を呈することも日常茶飯事です。
そのようなことを実習期間を通じて深く学ばせていただき、私の目指す医師像にも大きな影響を受けました。基本路線としては内科系へ進むことを考えている私ですが、ある境界的な症状を目の当たりにした際に該当する身体疾患と精神疾患を常に並列に考えて鑑別していけるようになりたい、そうならなければいけないと思いました。
まだ不勉強な私は知らないことだらけの恥ずかしい医学生ですが、少しでも何かを学ぶと次々に他とのつながりが登場して奥の深さを痛感し、このような驚きと感動を求める姿勢は仮に医師として長年の経験を積んだ立場になれても持ち続けたいものだと思っております。
こんな偉そうなことを言っても、まずは医師になれなければ戯言で終わってしまいますね。たとえ最下位でも構わないので、とにかく卒業と国試合格を確実に果たせるように気持ちを引き締めて頑張っていきます。
うまくリフレッシュできました
2005年5月7日また日記更新まで1ヶ月以上も経過してしまいました。
いつもリンク先の皆様の日記は拝見しておりますが、いざ自分の日記を書くとなると億劫になってしまい、つい知らず知らずのうちに数週間があっという間に過ぎ去ってしまいます。
4月からはずっと市中病院でのクリニカル・クラークシップ(正しい訳は不明ですが、5年生での全科BSLから個々人の専攻科に絞って発展型にしたような実習)というものに通っていて、本来は自分から「忙しい」という言葉を使うことが好きではないのですが、それでもやっぱり忙しくて疲れ気味でした。
ゴールデンウィークには趣味のスポーツで他大学の合宿にまで参加したり、和歌山まで一人旅に行ったり、それはそれは楽しく充実した日々を過ごすことができました。
このゴールデンウィークを終えて自分の中でも気持ちの切り換えが上手くできた感じがして、またこれから後期のクリニカル・クラークシップと卒試・国試対策についてエンジンの回転数を上げていこうという意欲が高まってきました。
5月病なんてどこ吹く風、私はますます元気になって今後の難題に立ち向かっていきます。
いつもリンク先の皆様の日記は拝見しておりますが、いざ自分の日記を書くとなると億劫になってしまい、つい知らず知らずのうちに数週間があっという間に過ぎ去ってしまいます。
4月からはずっと市中病院でのクリニカル・クラークシップ(正しい訳は不明ですが、5年生での全科BSLから個々人の専攻科に絞って発展型にしたような実習)というものに通っていて、本来は自分から「忙しい」という言葉を使うことが好きではないのですが、それでもやっぱり忙しくて疲れ気味でした。
ゴールデンウィークには趣味のスポーツで他大学の合宿にまで参加したり、和歌山まで一人旅に行ったり、それはそれは楽しく充実した日々を過ごすことができました。
このゴールデンウィークを終えて自分の中でも気持ちの切り換えが上手くできた感じがして、またこれから後期のクリニカル・クラークシップと卒試・国試対策についてエンジンの回転数を上げていこうという意欲が高まってきました。
5月病なんてどこ吹く風、私はますます元気になって今後の難題に立ち向かっていきます。
ついに6年生です
2005年4月4日もう4月に入ってしまったんですね。
そして私もついに医学部6年生となってしまいました。
世の中には医学部が6年制ということをご存知ない方も少なくなく、5年生から先になると、会話の中で自分の所属学年について話す場面が生じると改めて説明しなければならないことが多いです。
そして6年生が最高学年ということをご理解いただいても、その次には「卒業後には何科に進まれるんですか?」という質問が待っています。
去年から2年間のローテート研修が必修化になったんですけどね。そこまでご存知の方はよほどの物知りの部類に入るのではないでしょうか。
まあ、6年生ではなくても、ただ医学部生というだけで「専門は何科ですか?」と訊かれることが本当に多いです。もう、うんざりするくらい。
この春に医学部に入学される方々も、これからその類の質問をされる場面が何百回もあることを覚悟しておいてください。すでに入学前からご親戚などに訊かれているかも知れませんね。
さて、私は5年生で大学病院での臨床実習(うちの大学ではBSLと呼んでいます)を終え、春休み中は研修先候補として考えている病院の見学に行ったりしていました。
一応、将来的な自分の志望科については、小児科も含めた意味での内科系を考えています。
やはり、どの病院へ見学に行っても志望科について訊かれますので、「ローテート研修中にゆっくり考えてみようと思っています。」などと暢気な答え方をしたらヤル気がないと思われます。それは当然ですよね。わざわざ申し込んで見学に行っているわけですから。自分なりの方向性や見学動機を示せなければ、本当に小学生の工場見学と同じになってしまいます。
そんなこんなで、この春休み中は自分の将来について考えることが多く、付き合い始めてから4年になる彼女とも結構深い意味での相談を重ねました。自分の選択が自分一人だけのものとして完結しなくなりつつある、今はそんな思いが日々強まっているところです。
明日は新6年生のガイダンスがあります。学年全員で手分けして作成した卒業試験対策問題集も製本が終わり、皆に配られるそうです。あぁ、いよいよという気持ちが否応なく高まります。
今年の三大目標は、まずマッチングで第一志望の研修病院へ就職を決めること、そして卒業試験を確実にパスすること、最後の大一番として国家試験で絶対に合格することです。
対策は簡単です。言葉ではね。つまり十分な勉強を積めばいい、それ以上でもそれ以下でもありません。その簡単なことを如何に持続できるか、その成否が1年後の自分の立場を決定します。
自称医師1年前、そのつもりで明日からのカウントダウンを刻んでいくつもりです。
そして私もついに医学部6年生となってしまいました。
世の中には医学部が6年制ということをご存知ない方も少なくなく、5年生から先になると、会話の中で自分の所属学年について話す場面が生じると改めて説明しなければならないことが多いです。
そして6年生が最高学年ということをご理解いただいても、その次には「卒業後には何科に進まれるんですか?」という質問が待っています。
去年から2年間のローテート研修が必修化になったんですけどね。そこまでご存知の方はよほどの物知りの部類に入るのではないでしょうか。
まあ、6年生ではなくても、ただ医学部生というだけで「専門は何科ですか?」と訊かれることが本当に多いです。もう、うんざりするくらい。
この春に医学部に入学される方々も、これからその類の質問をされる場面が何百回もあることを覚悟しておいてください。すでに入学前からご親戚などに訊かれているかも知れませんね。
さて、私は5年生で大学病院での臨床実習(うちの大学ではBSLと呼んでいます)を終え、春休み中は研修先候補として考えている病院の見学に行ったりしていました。
一応、将来的な自分の志望科については、小児科も含めた意味での内科系を考えています。
やはり、どの病院へ見学に行っても志望科について訊かれますので、「ローテート研修中にゆっくり考えてみようと思っています。」などと暢気な答え方をしたらヤル気がないと思われます。それは当然ですよね。わざわざ申し込んで見学に行っているわけですから。自分なりの方向性や見学動機を示せなければ、本当に小学生の工場見学と同じになってしまいます。
そんなこんなで、この春休み中は自分の将来について考えることが多く、付き合い始めてから4年になる彼女とも結構深い意味での相談を重ねました。自分の選択が自分一人だけのものとして完結しなくなりつつある、今はそんな思いが日々強まっているところです。
明日は新6年生のガイダンスがあります。学年全員で手分けして作成した卒業試験対策問題集も製本が終わり、皆に配られるそうです。あぁ、いよいよという気持ちが否応なく高まります。
今年の三大目標は、まずマッチングで第一志望の研修病院へ就職を決めること、そして卒業試験を確実にパスすること、最後の大一番として国家試験で絶対に合格することです。
対策は簡単です。言葉ではね。つまり十分な勉強を積めばいい、それ以上でもそれ以下でもありません。その簡単なことを如何に持続できるか、その成否が1年後の自分の立場を決定します。
自称医師1年前、そのつもりで明日からのカウントダウンを刻んでいくつもりです。
1枚の画
2005年3月17日約1ヶ月ぶりの更新になります。
まずは見事に志望大学への合格を果たされた方々、おめでとうございます。
特に再受験で医学部へ合格された方は、医師という「職業」に就くことを強く意識しながら入学される場合がほとんどかと思います。そして可能であれば人より1日でも早く医師になりたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。それは当然ですね。
しかし、意欲の強さに関係なく医学部での6年間(学士入学であれば4年間)は縮められません。飛び級はありません。そして、嫌が上にも病院実習が始まれば職業としての医師を強く意識させられますし、自分の進むべき方向性が何かということも二転三転します。初志貫徹などと決め込むと柔軟な発想や吸収力が損なわれますので、人より先に何かに向かって邁進しようと肩に力を入れ過ぎないことが肝要です。
今は入学者全員に1枚の大きな画用紙を配られたと思ってください。まだ真っ白な画用紙です。最低限、これだけは描きなさいというテーマが幾つか決められています。提出日は6年後です。
さて、どのように描きましょうか。例えば画題が「花」だったとします。
一輪の花、花束、花畑・・・・どれも花です。これらの大きな違いは量でしょうか。猛然と絵筆をとって花を描き始めればたくさんの花を描けるでしょう。でも、一輪の花でも画題は満たしています。それよりは花に群がる蝶や蜜蜂、花を引き立てている素適な花瓶、その花を飾っているテーブル、そのテーブルを囲む家族、床に寝ている猫・・・・etc、そのような周辺のものにまで思いを広げて丹念に描けば素適な作品に仕上がるのではないでしょうか。
皆さんにはそれぞれの作風があるはずです。その作風さえも時間と共に変化していくものかも知れません。
これから6年間、じっくりと時間をかけて味わい深い作品を描きあげてください。
あと1年、私も最後の最後まで納得のいく出来栄えを目指して作品を描き切りたいと思います。
まずは見事に志望大学への合格を果たされた方々、おめでとうございます。
特に再受験で医学部へ合格された方は、医師という「職業」に就くことを強く意識しながら入学される場合がほとんどかと思います。そして可能であれば人より1日でも早く医師になりたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。それは当然ですね。
しかし、意欲の強さに関係なく医学部での6年間(学士入学であれば4年間)は縮められません。飛び級はありません。そして、嫌が上にも病院実習が始まれば職業としての医師を強く意識させられますし、自分の進むべき方向性が何かということも二転三転します。初志貫徹などと決め込むと柔軟な発想や吸収力が損なわれますので、人より先に何かに向かって邁進しようと肩に力を入れ過ぎないことが肝要です。
今は入学者全員に1枚の大きな画用紙を配られたと思ってください。まだ真っ白な画用紙です。最低限、これだけは描きなさいというテーマが幾つか決められています。提出日は6年後です。
さて、どのように描きましょうか。例えば画題が「花」だったとします。
一輪の花、花束、花畑・・・・どれも花です。これらの大きな違いは量でしょうか。猛然と絵筆をとって花を描き始めればたくさんの花を描けるでしょう。でも、一輪の花でも画題は満たしています。それよりは花に群がる蝶や蜜蜂、花を引き立てている素適な花瓶、その花を飾っているテーブル、そのテーブルを囲む家族、床に寝ている猫・・・・etc、そのような周辺のものにまで思いを広げて丹念に描けば素適な作品に仕上がるのではないでしょうか。
皆さんにはそれぞれの作風があるはずです。その作風さえも時間と共に変化していくものかも知れません。
これから6年間、じっくりと時間をかけて味わい深い作品を描きあげてください。
あと1年、私も最後の最後まで納得のいく出来栄えを目指して作品を描き切りたいと思います。
決意
2005年2月20日国公立大学の前期日程を受験される皆さん、いよいよ今週ですね。
準備の進み具合や満足度は百人百様だと思いますが、あとは現時点での実力を本番の試験で残さず発揮できるような直前調整を心掛けてください。
私の在籍する大学を受験される方がいらっしゃるかどうかは分かりませんが、もしも合格されましたら入学手続きの日には部活勧誘等でお会いすることがあるかも知れませんね。そういう日が来ることを心より願っております。
一方、昨日から3日間の日程で医師国家試験が始まりました。
私も順調に卒業できれば1年後に受験するはずの試験です。そして、この試験は合格しないと何にもなりません。あと一歩、善戦、来年につながる良い経験・・・・このような類の言葉は一切通用しません。とにかく合格しないと話になりません。“all or nothing”の世界です。
そもそも、今年の初めからこの日記を書き始めたのは国試受験を意識してのものでした。その国試までちょうど1年となり、自分なりに幾つか決意したことがあります。
?遅くとも5月中にはクエスチョンバンク(通称QB:国試対策の問題集)の1周目を終わらせる。
?9月下旬開始の卒業試験までにQB2周目を終える。
?QB1周目終了後から卒業試験過去問集も始め、7月中に1周目、卒試開始時までに2周目を終える。
?卒試各科目は絶対に1回目で合格する。追試など考えない。
?卒試期間中にもQBは継続し、2005年のうちに3周目を終える。
?2006年に入ったら、国試までにQBを可能な限り何周でも解き続ける。
これを実践できれば95%以上の確率で国試に合格できると思います。
途中、模試の成績などを見て勉強法に若干の修正は加えるかも知れませんが、それは上積みであり、勉強量の水準としては今回の決意を頑なに守り通します。
私は非常に頑固な男ですので、この頑固さを国試対策にも貫いて絶対に医師免許を取得します。ここまで来て、今さら医師になることを「夢」だなどと暢気なことは言いません。もはや義務です。
国立大学の安い学費、私立大学と比べればタダのような学費で勉強させていただいて、これで医師にならなかったら犯罪だと思っています。罪状は詐欺罪か、横領罪か・・・・。
もちろん私は犯罪者になりたくありません。警察のお世話になるのは駐車違反くらいで十分です。「嘘つきは泥棒の始まり」とも言いますので、この日記で公言した決意を守らなければ泥棒の仲間入りですが、それはご免です。
それでは、最後に一言。
来年、私は絶対に医師国家試験に合格します!
準備の進み具合や満足度は百人百様だと思いますが、あとは現時点での実力を本番の試験で残さず発揮できるような直前調整を心掛けてください。
私の在籍する大学を受験される方がいらっしゃるかどうかは分かりませんが、もしも合格されましたら入学手続きの日には部活勧誘等でお会いすることがあるかも知れませんね。そういう日が来ることを心より願っております。
一方、昨日から3日間の日程で医師国家試験が始まりました。
私も順調に卒業できれば1年後に受験するはずの試験です。そして、この試験は合格しないと何にもなりません。あと一歩、善戦、来年につながる良い経験・・・・このような類の言葉は一切通用しません。とにかく合格しないと話になりません。“all or nothing”の世界です。
そもそも、今年の初めからこの日記を書き始めたのは国試受験を意識してのものでした。その国試までちょうど1年となり、自分なりに幾つか決意したことがあります。
?遅くとも5月中にはクエスチョンバンク(通称QB:国試対策の問題集)の1周目を終わらせる。
?9月下旬開始の卒業試験までにQB2周目を終える。
?QB1周目終了後から卒業試験過去問集も始め、7月中に1周目、卒試開始時までに2周目を終える。
?卒試各科目は絶対に1回目で合格する。追試など考えない。
?卒試期間中にもQBは継続し、2005年のうちに3周目を終える。
?2006年に入ったら、国試までにQBを可能な限り何周でも解き続ける。
これを実践できれば95%以上の確率で国試に合格できると思います。
途中、模試の成績などを見て勉強法に若干の修正は加えるかも知れませんが、それは上積みであり、勉強量の水準としては今回の決意を頑なに守り通します。
私は非常に頑固な男ですので、この頑固さを国試対策にも貫いて絶対に医師免許を取得します。ここまで来て、今さら医師になることを「夢」だなどと暢気なことは言いません。もはや義務です。
国立大学の安い学費、私立大学と比べればタダのような学費で勉強させていただいて、これで医師にならなかったら犯罪だと思っています。罪状は詐欺罪か、横領罪か・・・・。
もちろん私は犯罪者になりたくありません。警察のお世話になるのは駐車違反くらいで十分です。「嘘つきは泥棒の始まり」とも言いますので、この日記で公言した決意を守らなければ泥棒の仲間入りですが、それはご免です。
それでは、最後に一言。
来年、私は絶対に医師国家試験に合格します!
担当症例のプレゼンテーション
2005年2月16日今週と来週は循環器内科を回っています。
明日、朝8時から病棟の全入院患者さんのカンファレンスがあり、学生も担当患者さんのプレゼンテーションをします。
学生の担当患者さんといっても当然ながら主治医の先生がいるわけで、つまり学生にとっては指導医という位置付けになります。厳しい教授の前で学生が失態をやらかそうものなら指導医の責任ということになり、今日のうちにプレゼン資料を指導医に見ていただいてチェックを受けなければなりません。
そんなこんなで今日は資料(症例サマリー)の作成と手直しに忙しく、夜8時過ぎまで病棟を離れられませんでした。本当は家庭教師のバイトがあったのに・・・・。
今日のバイトをキャンセルせざるを得なくなったために何千円かの減収となってしまいました。それはそれで悔しいのですが、おそらく完成させた資料を練習どおりに読み上げても教授からは想定外の突っ込みを入れられそうな予感がしますので、まだこれから勉強をして理論武装を固めなければなりません。
プレゼン準備の勉強といっても合否を分ける試験とは無関係です。たとえ結果的に上手くいかなくても、あるいは知識不足で教授に怒られても、それで進級や卒業が危うくなるようなものではありませんが、自分が医師となる日までの残り日数を逆算すると(順調に卒試や国試をクリアできたと仮定して)、今のままではいけないという思いが日ごとに強くなっていきます。
何も知らない、何もできない、だけど図々しくも1年後に医師免許をいただくつもりでいる自分って何だ・・・・自分の現状と目標との間に大きな隔たりがあることを自覚し、その隔たりを少しでも埋めるために日々の努力を積んでいかなければと焦り始めている私がいます。
では、今夜はこれから勉強に励みます。
明日、朝8時から病棟の全入院患者さんのカンファレンスがあり、学生も担当患者さんのプレゼンテーションをします。
学生の担当患者さんといっても当然ながら主治医の先生がいるわけで、つまり学生にとっては指導医という位置付けになります。厳しい教授の前で学生が失態をやらかそうものなら指導医の責任ということになり、今日のうちにプレゼン資料を指導医に見ていただいてチェックを受けなければなりません。
そんなこんなで今日は資料(症例サマリー)の作成と手直しに忙しく、夜8時過ぎまで病棟を離れられませんでした。本当は家庭教師のバイトがあったのに・・・・。
今日のバイトをキャンセルせざるを得なくなったために何千円かの減収となってしまいました。それはそれで悔しいのですが、おそらく完成させた資料を練習どおりに読み上げても教授からは想定外の突っ込みを入れられそうな予感がしますので、まだこれから勉強をして理論武装を固めなければなりません。
プレゼン準備の勉強といっても合否を分ける試験とは無関係です。たとえ結果的に上手くいかなくても、あるいは知識不足で教授に怒られても、それで進級や卒業が危うくなるようなものではありませんが、自分が医師となる日までの残り日数を逆算すると(順調に卒試や国試をクリアできたと仮定して)、今のままではいけないという思いが日ごとに強くなっていきます。
何も知らない、何もできない、だけど図々しくも1年後に医師免許をいただくつもりでいる自分って何だ・・・・自分の現状と目標との間に大きな隔たりがあることを自覚し、その隔たりを少しでも埋めるために日々の努力を積んでいかなければと焦り始めている私がいます。
では、今夜はこれから勉強に励みます。
サッカーに思うこと
2005年2月12日今日は私もサッカーについて書いてみたいと思います。
日本の劇的な辛勝に終わった先日の北朝鮮戦、とても素晴らしかったと思います。
何が素晴らしいといっても私はサッカーの専門家ではありませんので、戦術や技術レベルの話はできませんが。ただ、中村俊輔選手のボールキープ力は一際目立つなということ、そして高原選手らが最後まで執拗にゴール前で攻め続けたことが相手ディフェンスの綻びを招いて得点につながったのかなという印象を受けました。
さて、私が本当に素晴らしいと思うのは試合内容や結果云々ではなくて、試合を取り巻く周辺環境です。いつも感じるのですが、日本がホームとして相手チームを迎えるとき、その相手チームに対する扱いが極めてフェアだと思います。
今回の北朝鮮に限らず常に十分すぎるほどの警備をつけ、宿泊先には高級ホテルを用意し、練習場所も宿舎近くの立派な競技場を手配し、いわゆる「アウェーの洗礼」とは程遠いです。いざ試合を迎えても日本が有利といえるのはサポーターの大声援と慣れた気候くらいなもので、審判の笛は中立地での試合かと思うほど公平です。手入れの行き届いた芝は誰にとってもプレーしやすく、互いの磨き上げた技術を存分に発揮できるようになっていますし。まとめると、お客様に対して失礼なく最高のおもてなしをご用意していますね。
一方、日本代表がアウェー戦で遠征すると・・・・
宿舎の水道やエレベーターが急に止まる、練習場所が急遽変更になって宿舎からバスで何時間もかかるような所へ行かされる、その練習場もグラウンドに空き缶や石ころが散乱している、夜中には相手国のサポーターが宿舎前で騒ぎ立てて安眠妨害を図る、試合になると国家吹奏の時点で激しいブーイングを始める、日本が勝ったらサポーターがグラウンドに物を投げ込んだり選手団のバスを取り囲んで騒ぎを起こす・・・・etc
これら全てが一度の遠征で同時に起こるわけではありませんが、どれも珍しいことではありません。
根本的には相手国の選手を「お客様」と考えるか「敵」と考えるかの違いなのでしょうか。もちろん過度にお客様扱いをする必要もないと思いますが、やはりホームチームとアウェーチームの条件を左右する要素はサポーターの声援と気候条件に限るべきだと思います。
こんな考え方は熱いサッカーファンの方から「あまい!」と一喝されそうですが、サッカーを純粋にスポーツと考えるなら正論を述べているに過ぎません。「熱い」ことと「理性を欠く」ことの意味を区別できないサッカーファンにとって、悲しいことにサッカーはスポーツでなくなってしまっているように思います。
これからW杯最終予選で日本代表は残り5試合を戦い、そのうち3試合はあらゆる意味で過酷な条件のアウェー戦を控えています。楽観は許しませんが、この10年で確実にレベルアップした日本代表にとって予選突破は実現性の高い話です。どんなに理不尽なアウェーの洗礼を受けようと屈しない逞しさを日本代表に期待し、グラウンド外での無駄な抵抗がいかにバカバカしいものであるかを毅然とした態度と圧倒的な実力で証明してもらいたいものです。そうしていく中で日本代表が真の意味でアジアのサッカーレベル向上に貢献できれば嬉しいなと、素人ながらささやかに願っております。
日本の劇的な辛勝に終わった先日の北朝鮮戦、とても素晴らしかったと思います。
何が素晴らしいといっても私はサッカーの専門家ではありませんので、戦術や技術レベルの話はできませんが。ただ、中村俊輔選手のボールキープ力は一際目立つなということ、そして高原選手らが最後まで執拗にゴール前で攻め続けたことが相手ディフェンスの綻びを招いて得点につながったのかなという印象を受けました。
さて、私が本当に素晴らしいと思うのは試合内容や結果云々ではなくて、試合を取り巻く周辺環境です。いつも感じるのですが、日本がホームとして相手チームを迎えるとき、その相手チームに対する扱いが極めてフェアだと思います。
今回の北朝鮮に限らず常に十分すぎるほどの警備をつけ、宿泊先には高級ホテルを用意し、練習場所も宿舎近くの立派な競技場を手配し、いわゆる「アウェーの洗礼」とは程遠いです。いざ試合を迎えても日本が有利といえるのはサポーターの大声援と慣れた気候くらいなもので、審判の笛は中立地での試合かと思うほど公平です。手入れの行き届いた芝は誰にとってもプレーしやすく、互いの磨き上げた技術を存分に発揮できるようになっていますし。まとめると、お客様に対して失礼なく最高のおもてなしをご用意していますね。
一方、日本代表がアウェー戦で遠征すると・・・・
宿舎の水道やエレベーターが急に止まる、練習場所が急遽変更になって宿舎からバスで何時間もかかるような所へ行かされる、その練習場もグラウンドに空き缶や石ころが散乱している、夜中には相手国のサポーターが宿舎前で騒ぎ立てて安眠妨害を図る、試合になると国家吹奏の時点で激しいブーイングを始める、日本が勝ったらサポーターがグラウンドに物を投げ込んだり選手団のバスを取り囲んで騒ぎを起こす・・・・etc
これら全てが一度の遠征で同時に起こるわけではありませんが、どれも珍しいことではありません。
根本的には相手国の選手を「お客様」と考えるか「敵」と考えるかの違いなのでしょうか。もちろん過度にお客様扱いをする必要もないと思いますが、やはりホームチームとアウェーチームの条件を左右する要素はサポーターの声援と気候条件に限るべきだと思います。
こんな考え方は熱いサッカーファンの方から「あまい!」と一喝されそうですが、サッカーを純粋にスポーツと考えるなら正論を述べているに過ぎません。「熱い」ことと「理性を欠く」ことの意味を区別できないサッカーファンにとって、悲しいことにサッカーはスポーツでなくなってしまっているように思います。
これからW杯最終予選で日本代表は残り5試合を戦い、そのうち3試合はあらゆる意味で過酷な条件のアウェー戦を控えています。楽観は許しませんが、この10年で確実にレベルアップした日本代表にとって予選突破は実現性の高い話です。どんなに理不尽なアウェーの洗礼を受けようと屈しない逞しさを日本代表に期待し、グラウンド外での無駄な抵抗がいかにバカバカしいものであるかを毅然とした態度と圧倒的な実力で証明してもらいたいものです。そうしていく中で日本代表が真の意味でアジアのサッカーレベル向上に貢献できれば嬉しいなと、素人ながらささやかに願っております。
病棟家庭教師
2005年2月3日今週と来週、私は臨床実習で血液内科を回っています。
本学における血液内科という名称は正式には独立した科を示しているものではなく、各診療科が臓器別再編成をされる前の科、すなわち旧第二内科の血液グループのことを意味しています。
血液内科という科は教官にとっても学生の担当患者さんを選定するのが困難です。疾患の特性上、まず患者さんの平均年齢が他科よりもはるかに若く、そして病状も予断を許さない方がほとんどです。特に大学病院という環境下では・・・・。
そんな中で学生に割り当てられる患者さんは限られ、むしろ割り当てられた患者さんは予後判定の観点からは展望の明るい方々といっても過言ではありません。少なくとも学生の立場から内情を察すると切ない思いに駆られてしまいます。
と、そのような背景があるのですが、結果的に私が担当させていただいている患者さんは16歳の高校1年生、男の子です。診断はアデノウイルス感染を契機としたHPS(血球貪食症候群)ですが、当科での治療経過は極めて順調で、退院を今や遅しと待ちわびています。
彼はこの入院中に学校の勉強が遅れてしまうことを懸念し、お母様に教科書や問題集を持ってきてもらって日中はベッドで勉強に励んでいる、そんな患者さんです。そういう状況の患者さんですので、逆に学生の立場からすると“臨床実習的”には“暇”です。じつに失礼な解釈かも知れませんが。
いいえ、もはや何と言われようが“暇”で大いに結構、私は元気な担当患者さんの要望に応えて血液内科では病棟家庭教師に専念しています。昨日は英語で関係副詞や同格のthat、数学では三角比の概念と基本問題の解き方などを2時間ほど教えました。彼がヤル気なら私も倍返し、「この入院期間中に同級生を追い越してリードを奪え。それくらいの気概で頑張ろう!」と煽って互いに本気になっています。
あぁ・・・・幸運にも(残念ながら!?)この調子なら彼は近いうちに退院の運びとなりますが、そんなことは考えずに彼と過ごせる残り少ない日々を大事にしたいと思います。
「おはよう。体温は・・・・O.Kだね。血液データも順調だよ。病院のごはん、これは○○君には足りないんじゃないの? えっ、平気? でも、やっぱりお腹空くでしょ?(彼の本音は“Yes”) 売店で間食すると太っちゃうって? そんなの平気だよ。まだ16歳でしょ、元気になってから普通に運動していればすぐに戻るからさ。」
こんな会話を交わしながら、今日も私は模擬主治医を返上して病棟家庭教師に専念したいと思います。
本学における血液内科という名称は正式には独立した科を示しているものではなく、各診療科が臓器別再編成をされる前の科、すなわち旧第二内科の血液グループのことを意味しています。
血液内科という科は教官にとっても学生の担当患者さんを選定するのが困難です。疾患の特性上、まず患者さんの平均年齢が他科よりもはるかに若く、そして病状も予断を許さない方がほとんどです。特に大学病院という環境下では・・・・。
そんな中で学生に割り当てられる患者さんは限られ、むしろ割り当てられた患者さんは予後判定の観点からは展望の明るい方々といっても過言ではありません。少なくとも学生の立場から内情を察すると切ない思いに駆られてしまいます。
と、そのような背景があるのですが、結果的に私が担当させていただいている患者さんは16歳の高校1年生、男の子です。診断はアデノウイルス感染を契機としたHPS(血球貪食症候群)ですが、当科での治療経過は極めて順調で、退院を今や遅しと待ちわびています。
彼はこの入院中に学校の勉強が遅れてしまうことを懸念し、お母様に教科書や問題集を持ってきてもらって日中はベッドで勉強に励んでいる、そんな患者さんです。そういう状況の患者さんですので、逆に学生の立場からすると“臨床実習的”には“暇”です。じつに失礼な解釈かも知れませんが。
いいえ、もはや何と言われようが“暇”で大いに結構、私は元気な担当患者さんの要望に応えて血液内科では病棟家庭教師に専念しています。昨日は英語で関係副詞や同格のthat、数学では三角比の概念と基本問題の解き方などを2時間ほど教えました。彼がヤル気なら私も倍返し、「この入院期間中に同級生を追い越してリードを奪え。それくらいの気概で頑張ろう!」と煽って互いに本気になっています。
あぁ・・・・幸運にも(残念ながら!?)この調子なら彼は近いうちに退院の運びとなりますが、そんなことは考えずに彼と過ごせる残り少ない日々を大事にしたいと思います。
「おはよう。体温は・・・・O.Kだね。血液データも順調だよ。病院のごはん、これは○○君には足りないんじゃないの? えっ、平気? でも、やっぱりお腹空くでしょ?(彼の本音は“Yes”) 売店で間食すると太っちゃうって? そんなの平気だよ。まだ16歳でしょ、元気になってから普通に運動していればすぐに戻るからさ。」
こんな会話を交わしながら、今日も私は模擬主治医を返上して病棟家庭教師に専念したいと思います。
医食同源というものの・・・・
2005年1月30日今日も私にとっては普通の日曜日でした。
朝から家庭教師のバイトに行き、昼食は適当に外で済ませ、そのまま帰りがけにスーパーで買い物をしてきました。
私は一人暮らしをしていますが、特に週末などは時間の許す限り自炊をするように心掛けています。自炊といっても決しておしゃれな料理ではなく、放っておくと偏った食生活で荒廃しかねない自分を矯正するための“食のリハビリ”といったところですが。
私の自炊料理の基本的な組合せは、野菜、キノコ、動物性タンパク質です。たいてい野菜は葱か白菜、キノコはエノキ茸かシメジ、動物性タンパク質は鳥砂肝や牡蠣など低脂肪のものを選んでいます。これらを適当に鍋で煮込み、味付けは減塩を心掛けながら唐辛子や胡椒で工夫しています。
医食同源というものの、医学教育の過程で食生活に関るものは意外なほど少ないです。いや、むしろ皆無です。
糖尿病治療で1日の摂取エネルギーを体重あたり何カロリーにするという程度のことは学びますが、何をどれだけ食べると栄養成分としてどうなのか、そういうことは個人の食習慣に任せっきりです。結果的に臨床症状や検査データで異常を示したら初めて対策を考えるというのが実情ではないでしょうか。それも主に○○製剤や○○阻害薬などとして。
まあ、往診でもしない限り医者が患者さんに直接的な“指示”をできるのは入院中か処方箋を通じてのことですので、何を食べなさい、何を控えなさいと言ってみたところでカルテ上の診療行為に該当しないことが主な要因なのでしょうか。やはり医学と栄養学との間で明確な線引きをしているかのような印象は否めません。
さて、唐突で漠然とした質問ですが、この日記をご覧になってくださる皆さんは食生活というものに対してどのようなお考えをお持ちでしょうか。ご自身の理想と現状、または経験から得た教訓、そして仮に医師の立場であれば日常診療の中で食生活というものをどのように位置付けていきたいか・・・・etc、秘密日記の中でも結構ですので、参考までに皆さんのお考えを伺ってみたいと思います。
また、美味しく健康的で簡単に作れる料理、そんな3拍子揃った料理をご存知の方にはぜひ紹介していただきたいと思います。皆さんのご経験に基づく貴重なアイデアの数々をお待ちしております。
朝から家庭教師のバイトに行き、昼食は適当に外で済ませ、そのまま帰りがけにスーパーで買い物をしてきました。
私は一人暮らしをしていますが、特に週末などは時間の許す限り自炊をするように心掛けています。自炊といっても決しておしゃれな料理ではなく、放っておくと偏った食生活で荒廃しかねない自分を矯正するための“食のリハビリ”といったところですが。
私の自炊料理の基本的な組合せは、野菜、キノコ、動物性タンパク質です。たいてい野菜は葱か白菜、キノコはエノキ茸かシメジ、動物性タンパク質は鳥砂肝や牡蠣など低脂肪のものを選んでいます。これらを適当に鍋で煮込み、味付けは減塩を心掛けながら唐辛子や胡椒で工夫しています。
医食同源というものの、医学教育の過程で食生活に関るものは意外なほど少ないです。いや、むしろ皆無です。
糖尿病治療で1日の摂取エネルギーを体重あたり何カロリーにするという程度のことは学びますが、何をどれだけ食べると栄養成分としてどうなのか、そういうことは個人の食習慣に任せっきりです。結果的に臨床症状や検査データで異常を示したら初めて対策を考えるというのが実情ではないでしょうか。それも主に○○製剤や○○阻害薬などとして。
まあ、往診でもしない限り医者が患者さんに直接的な“指示”をできるのは入院中か処方箋を通じてのことですので、何を食べなさい、何を控えなさいと言ってみたところでカルテ上の診療行為に該当しないことが主な要因なのでしょうか。やはり医学と栄養学との間で明確な線引きをしているかのような印象は否めません。
さて、唐突で漠然とした質問ですが、この日記をご覧になってくださる皆さんは食生活というものに対してどのようなお考えをお持ちでしょうか。ご自身の理想と現状、または経験から得た教訓、そして仮に医師の立場であれば日常診療の中で食生活というものをどのように位置付けていきたいか・・・・etc、秘密日記の中でも結構ですので、参考までに皆さんのお考えを伺ってみたいと思います。
また、美味しく健康的で簡単に作れる料理、そんな3拍子揃った料理をご存知の方にはぜひ紹介していただきたいと思います。皆さんのご経験に基づく貴重なアイデアの数々をお待ちしております。
手が凍りつきました
2005年1月26日先ほど家庭教師のバイトから帰りました。
もう寒くて手が凍りそうです。
この生徒宅までは8?ほどあり、以前は車で行っていました。しかし、イラク戦争の影響でガソリン価格が高騰していた頃、節約と運動を兼ねて試しに自転車で行ってみたら意外と早く着き、車よりも5分程度遅いだけでした。それ以来、雨の日以外は必ず自転車で行くようになりました。
そういうわけで、今日も底冷えする暗い夜道を往復16km走ってきたのですが、特に帰り道では手袋をはめているのにお構いなし、凍りついて感覚がなくなってしまいました。やはり木綿の手袋では不十分なようです。今度は原付用を使ってみようかな。
部屋に帰って鏡を見ると、頬と耳たぶが赤くなり、それ以外の部分は真っ白でした。脳の血管が明らかに収縮しているのが感じられ、もしも自分が高血圧の既往をもつ80歳の老人であれば脳出血を起こしても不思議ではない気がしました。
日本では沖縄が長寿県として知られていて、健康的な郷土料理などが長寿の秘訣とされていますが、何といってもあの亜熱帯の温暖な気候こそが最大の要因に違いありません。北海道や秋田県の人が食生活だけ沖縄人を真似ても、平均寿命の延びはそれほど期待できないのではないでしょうか。やはり過度な寒冷刺激が人体に好影響をもたらすはずがない、最近は寒さに凍えるたびに確信を深めています。
さんざん寒さに対する不満を述べましたが、それでは自分が沖縄に住みたいかと問われれば断固拒否します。
何故かというと私は蛇が大の苦手なのです。ハブがうようよする沖縄に住むなんて考えるだけで背筋が凍ります。
だいたい、亜熱帯や熱帯ほど変温動物の天国、つまり私の苦手な爬虫類が幅を利かせている世界ですので、老後は南国で悠悠自適な生活を・・・・なんて考えられません。
結局、今住んでいる県、というか生まれてから一度も県外で住んだことのない私ですが、この県が大好きで一生住み続けたいと思っています。これから研修先の病院をどこにするかなどと考えていかなければなりませんが、私を育ててくれた地元、愛する地元に恩返しをできるように、マッチングの希望病院は全て県内の病院でかためようと思っています。
・・・・と、今日は寒さをきっかけに郷土愛や将来の展望にまで話が拡大してしまう日記となりました。
もう寒くて手が凍りそうです。
この生徒宅までは8?ほどあり、以前は車で行っていました。しかし、イラク戦争の影響でガソリン価格が高騰していた頃、節約と運動を兼ねて試しに自転車で行ってみたら意外と早く着き、車よりも5分程度遅いだけでした。それ以来、雨の日以外は必ず自転車で行くようになりました。
そういうわけで、今日も底冷えする暗い夜道を往復16km走ってきたのですが、特に帰り道では手袋をはめているのにお構いなし、凍りついて感覚がなくなってしまいました。やはり木綿の手袋では不十分なようです。今度は原付用を使ってみようかな。
部屋に帰って鏡を見ると、頬と耳たぶが赤くなり、それ以外の部分は真っ白でした。脳の血管が明らかに収縮しているのが感じられ、もしも自分が高血圧の既往をもつ80歳の老人であれば脳出血を起こしても不思議ではない気がしました。
日本では沖縄が長寿県として知られていて、健康的な郷土料理などが長寿の秘訣とされていますが、何といってもあの亜熱帯の温暖な気候こそが最大の要因に違いありません。北海道や秋田県の人が食生活だけ沖縄人を真似ても、平均寿命の延びはそれほど期待できないのではないでしょうか。やはり過度な寒冷刺激が人体に好影響をもたらすはずがない、最近は寒さに凍えるたびに確信を深めています。
さんざん寒さに対する不満を述べましたが、それでは自分が沖縄に住みたいかと問われれば断固拒否します。
何故かというと私は蛇が大の苦手なのです。ハブがうようよする沖縄に住むなんて考えるだけで背筋が凍ります。
だいたい、亜熱帯や熱帯ほど変温動物の天国、つまり私の苦手な爬虫類が幅を利かせている世界ですので、老後は南国で悠悠自適な生活を・・・・なんて考えられません。
結局、今住んでいる県、というか生まれてから一度も県外で住んだことのない私ですが、この県が大好きで一生住み続けたいと思っています。これから研修先の病院をどこにするかなどと考えていかなければなりませんが、私を育ててくれた地元、愛する地元に恩返しをできるように、マッチングの希望病院は全て県内の病院でかためようと思っています。
・・・・と、今日は寒さをきっかけに郷土愛や将来の展望にまで話が拡大してしまう日記となりました。
消化器内科
2005年1月23日今日も寒い一日ですね。
とネット上の日記で天気のことを書いても、場所を添えないと分かりませんね。まあ、この時季に関東以北で寒くない所を探すほうが難しいと思いますが。
先週と今週、私は臨床実習で消化器内科を回っています。
担当患者さんの一人は49歳男性、食道胃静脈瘤の治療で入院されています。昨年12月22日に会社の忘年会があり、12月24日に4回の吐血をして近医へ救急搬送されました。そこでEVL(内視鏡を用いて出血箇所を縛る)という急性期の治療を受け、今は大学病院でEIS(静脈瘤と周囲に特殊な硬化剤を注入する)という治療を行っているところです。
患者さんには3歳違いの娘さんが二人いらっしゃって、ちょうど長女が大学受験、次女が高校受験を迎える年です。3日前には次女が受験した私立高校の合格発表があったそうです。
こんな大変な時期に父親の私が倒れて入院なんてしてしまい・・・・と嘆いていらっしゃいますが、あの方のご様子から家庭像を推測すると、このような予期せぬ事態があっても上手く乗り越えていけるのではないかと思います。ご家族のことは心配せず、今はご自身の治療に専念していただきたいと思います。
センター試験から1週間が経ち、受験生の皆さんはそれぞれの出願校を決定されたそうですね。もしかしたら私の通っている大学を受験されるという方もいらっしゃるのでしょうか。
もはや自分が受験した頃から何年も経ち、今はどんな配点や出題傾向なのかさっぱり分かりませんので、何もアドバイスめいたことはお伝えできません。
唯一・・・・これは裏情報なのか、既に知れ渡っている常識なのか分かりませんが・・・・“噂”によると面接の採点は100点か0点のどちらかだそうです。
これが事実だとしたら適当な採点方法を非難したくなる一方で、むしろ妥当なのかなとも思います。学科試験のほうで受験生の学力は序列化(または数値化)できますが、面接による人物評価を細かく数値化するのは無理です。
面接の位置付けとは、仮にその受験生が学力で合格水準に達していれば入学を許可しても構わない人物かどうか、その先にこの大学から医師として世に送り出しても問題なさそうな人物かどうか、そういう部分を短時間で見極めようとする場だと思います。したがって100点や0点という数字自体も形式的なもので、本当は“Yes”か“No”という意味ではないでしょうか。
そう考えると大抵の受験生は面接で100点をもらえるはずですので、今から面接のために何か特別な資料を集めたり対策を講じたりせず、ひたすら学科試験に向けて過去問研究や苦手分野補充をしていただければ十分だと思います。
これからインフルエンザの流行が懸念される時季ですが、どうか受験生の皆さんは手洗いやうがいなどの基本的な部分から体調管理にお気をつけください。
とネット上の日記で天気のことを書いても、場所を添えないと分かりませんね。まあ、この時季に関東以北で寒くない所を探すほうが難しいと思いますが。
先週と今週、私は臨床実習で消化器内科を回っています。
担当患者さんの一人は49歳男性、食道胃静脈瘤の治療で入院されています。昨年12月22日に会社の忘年会があり、12月24日に4回の吐血をして近医へ救急搬送されました。そこでEVL(内視鏡を用いて出血箇所を縛る)という急性期の治療を受け、今は大学病院でEIS(静脈瘤と周囲に特殊な硬化剤を注入する)という治療を行っているところです。
患者さんには3歳違いの娘さんが二人いらっしゃって、ちょうど長女が大学受験、次女が高校受験を迎える年です。3日前には次女が受験した私立高校の合格発表があったそうです。
こんな大変な時期に父親の私が倒れて入院なんてしてしまい・・・・と嘆いていらっしゃいますが、あの方のご様子から家庭像を推測すると、このような予期せぬ事態があっても上手く乗り越えていけるのではないかと思います。ご家族のことは心配せず、今はご自身の治療に専念していただきたいと思います。
センター試験から1週間が経ち、受験生の皆さんはそれぞれの出願校を決定されたそうですね。もしかしたら私の通っている大学を受験されるという方もいらっしゃるのでしょうか。
もはや自分が受験した頃から何年も経ち、今はどんな配点や出題傾向なのかさっぱり分かりませんので、何もアドバイスめいたことはお伝えできません。
唯一・・・・これは裏情報なのか、既に知れ渡っている常識なのか分かりませんが・・・・“噂”によると面接の採点は100点か0点のどちらかだそうです。
これが事実だとしたら適当な採点方法を非難したくなる一方で、むしろ妥当なのかなとも思います。学科試験のほうで受験生の学力は序列化(または数値化)できますが、面接による人物評価を細かく数値化するのは無理です。
面接の位置付けとは、仮にその受験生が学力で合格水準に達していれば入学を許可しても構わない人物かどうか、その先にこの大学から医師として世に送り出しても問題なさそうな人物かどうか、そういう部分を短時間で見極めようとする場だと思います。したがって100点や0点という数字自体も形式的なもので、本当は“Yes”か“No”という意味ではないでしょうか。
そう考えると大抵の受験生は面接で100点をもらえるはずですので、今から面接のために何か特別な資料を集めたり対策を講じたりせず、ひたすら学科試験に向けて過去問研究や苦手分野補充をしていただければ十分だと思います。
これからインフルエンザの流行が懸念される時季ですが、どうか受験生の皆さんは手洗いやうがいなどの基本的な部分から体調管理にお気をつけください。
センター試験から一夜明け・・・・
2005年1月17日こんばんは。
センター試験を受験された皆さん、大変お疲れ様でした。
それぞれ自己採点の結果には悲喜交々のようで、満足のいく点数を獲得されて晴々としたご様子の方の日記は、私も同じくらいに嬉しい気持ちで読ませていただきました。
私がバイト先の塾で教えている生徒達もセンター試験を受験しました。彼らの志望大学や学部は様々ですが、実力以上の幸運を期待しないまでも、せめて今まで積み重ねてきた努力の質と量に相応しい結果を残してほしいなと切に願っております。
日記を読んでいる中で「傾斜配点」や「センターリサーチ」などの言葉を見ると、自分も何年か前に受験したセンター試験のことを思い出します。
当時の私は第一志望よりも後期出願大学のことばかりを考えていました。前期試験終了後に不安定な気持ちのまま勉強を続けられる自信がなく、後期は筆記試験のない某大学に出願しようと早々に決心し、その大学の傾斜配点を適用した際に最大限の効果を発揮できるような得点内容を目指してセンター試験に臨みました。
結果的に運良く私の思惑通りとなり、後期の大学は確保できた気分で前期の第一志望校に出願しました。それが現在通っている大学です。
後になって振り返ってみると、実は後期の大学についても自分が思うほど絶対確実な得点ではなかったような気がしますが、妙な自信が幸いして前期の第一志望校に向けた残り40日間を迷いなく頑張り通せました。
もしもあの時点で後期への迷いがあったり、逆に自信過剰から前期対策で気を抜くようなことがあれば、結果はどうなっていたか分かりません。全てが絵に描いた餅で終わっていた可能性も十分に考えられます。
・・・・と、つい過去の思い出を美化して偉そうなことを述べてしまいました。中には不愉快な思いをされた方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
今回を限りに、もう自分の入試体験談を語ることはありません。
センター試験を終えて、これから皆さんは熟慮に熟慮を重ねて二次試験の出願をされることと思います。
最終的にどの大学を受験することになっても、決断を下した次の瞬間からはセンター試験のことを忘れて二次試験対策に100%集中していただきたいと思います。
残り40日間が皆さんにとって実り多き日々でありますように、陰ながら応援しております。
センター試験を受験された皆さん、大変お疲れ様でした。
それぞれ自己採点の結果には悲喜交々のようで、満足のいく点数を獲得されて晴々としたご様子の方の日記は、私も同じくらいに嬉しい気持ちで読ませていただきました。
私がバイト先の塾で教えている生徒達もセンター試験を受験しました。彼らの志望大学や学部は様々ですが、実力以上の幸運を期待しないまでも、せめて今まで積み重ねてきた努力の質と量に相応しい結果を残してほしいなと切に願っております。
日記を読んでいる中で「傾斜配点」や「センターリサーチ」などの言葉を見ると、自分も何年か前に受験したセンター試験のことを思い出します。
当時の私は第一志望よりも後期出願大学のことばかりを考えていました。前期試験終了後に不安定な気持ちのまま勉強を続けられる自信がなく、後期は筆記試験のない某大学に出願しようと早々に決心し、その大学の傾斜配点を適用した際に最大限の効果を発揮できるような得点内容を目指してセンター試験に臨みました。
結果的に運良く私の思惑通りとなり、後期の大学は確保できた気分で前期の第一志望校に出願しました。それが現在通っている大学です。
後になって振り返ってみると、実は後期の大学についても自分が思うほど絶対確実な得点ではなかったような気がしますが、妙な自信が幸いして前期の第一志望校に向けた残り40日間を迷いなく頑張り通せました。
もしもあの時点で後期への迷いがあったり、逆に自信過剰から前期対策で気を抜くようなことがあれば、結果はどうなっていたか分かりません。全てが絵に描いた餅で終わっていた可能性も十分に考えられます。
・・・・と、つい過去の思い出を美化して偉そうなことを述べてしまいました。中には不愉快な思いをされた方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
今回を限りに、もう自分の入試体験談を語ることはありません。
センター試験を終えて、これから皆さんは熟慮に熟慮を重ねて二次試験の出願をされることと思います。
最終的にどの大学を受験することになっても、決断を下した次の瞬間からはセンター試験のことを忘れて二次試験対策に100%集中していただきたいと思います。
残り40日間が皆さんにとって実り多き日々でありますように、陰ながら応援しております。
神経内科
2005年1月13日臨床実習で先週と今週は神経内科を回っています。
といっても病棟で私が担当していた患者さんは先週のうちに退院され、学生も参加する科全体のイベント以外にはやることがなくて暇な状態です。そういうわけで今は病棟の患者さん達の疾患を中心に専ら教科書を読んで勉強しているところです。
大学病院の神経内科病棟で感じることは、治療で何をするというよりも診断をつけるまでの過程がはるかに大変だということです。その証拠に、病名が○○疑いとなっているままの患者さんが他科と比べて圧倒的に多い気がします。
実際に私が担当していた患者さんも臨床症状からは某疾患を強く疑わせるものの、画像や核医学検査、生理学的検査などからは有意な所見が一切得られず、確定診断に到らないまま外来フォローという形で退院されました。
逆に、院外実習で市中病院へ行くと、あれこれと外国人の名前がついた○○症候群のような類、いわゆる教科書や国試でならよく名前を聞くような“代表的”疾患の患者さんを見かけることはほとんどなく、圧倒的に多いのが脳梗塞、高血圧性脳出血、くも膜下出血の患者さんでした。これらの疾患については、発症様式から診断の流れ、急性期と慢性期の治療方針の違いなどを現場の先生から懇切丁寧に教えていただき、次に患者さんが運ばれて来たら私も先生の真似事くらいはできるかな・・・・などとオメデタイ勘違いをしてしまうところでした。
でも、やはり現場で学ぶというのは大事なことで、教科書で強調されていたことが何故そうなのか、あるいは教科書には書かれていないけど本当は見逃してはいけないこと、逆に教科書にはこのように書かれているけど本当は間違っていること(または現実的ではないこと)などを生きた知識として学べる機会は今後も大切にしていきたいと思います。
ただし、ろくに教科書も読まないまま“実戦派”と称して不勉強の隠れ蓑にするのは大間違いで、しっかりと書物から得た知識について現場で再確認しながら自分自身で重要度を整理し直す、これが理想だと思います。
はたして今の自分について言動が一致しているかどうかは甚だ怪しいところですが、少なくともこのような考え方をできていることだけでも幸せに思い、あとは実践あるのみで頑張っていきたいと思います。
といっても病棟で私が担当していた患者さんは先週のうちに退院され、学生も参加する科全体のイベント以外にはやることがなくて暇な状態です。そういうわけで今は病棟の患者さん達の疾患を中心に専ら教科書を読んで勉強しているところです。
大学病院の神経内科病棟で感じることは、治療で何をするというよりも診断をつけるまでの過程がはるかに大変だということです。その証拠に、病名が○○疑いとなっているままの患者さんが他科と比べて圧倒的に多い気がします。
実際に私が担当していた患者さんも臨床症状からは某疾患を強く疑わせるものの、画像や核医学検査、生理学的検査などからは有意な所見が一切得られず、確定診断に到らないまま外来フォローという形で退院されました。
逆に、院外実習で市中病院へ行くと、あれこれと外国人の名前がついた○○症候群のような類、いわゆる教科書や国試でならよく名前を聞くような“代表的”疾患の患者さんを見かけることはほとんどなく、圧倒的に多いのが脳梗塞、高血圧性脳出血、くも膜下出血の患者さんでした。これらの疾患については、発症様式から診断の流れ、急性期と慢性期の治療方針の違いなどを現場の先生から懇切丁寧に教えていただき、次に患者さんが運ばれて来たら私も先生の真似事くらいはできるかな・・・・などとオメデタイ勘違いをしてしまうところでした。
でも、やはり現場で学ぶというのは大事なことで、教科書で強調されていたことが何故そうなのか、あるいは教科書には書かれていないけど本当は見逃してはいけないこと、逆に教科書にはこのように書かれているけど本当は間違っていること(または現実的ではないこと)などを生きた知識として学べる機会は今後も大切にしていきたいと思います。
ただし、ろくに教科書も読まないまま“実戦派”と称して不勉強の隠れ蓑にするのは大間違いで、しっかりと書物から得た知識について現場で再確認しながら自分自身で重要度を整理し直す、これが理想だと思います。
はたして今の自分について言動が一致しているかどうかは甚だ怪しいところですが、少なくともこのような考え方をできていることだけでも幸せに思い、あとは実践あるのみで頑張っていきたいと思います。
成人の日
2005年1月10日今日は成人の日でしたね。
私の住む街でも晴れ着を着た女の子が歩いていました。はたして綺麗に着飾った外見に負けないくらいの人格が成人として備わっているかどうかは疑問ですが・・・・と嫌味っぽいことを考えながら、同時に我が身を振り返って反省のきっかけにしています。
例年、成人の日の翌日にはテレビや新聞で成人式に関するニュースが報じられます。たいてい、どこかの市町村の成人式会場で新成人が暴動を起こした、あるいは酒を飲みすぎた新成人が急性アルコール中毒で死亡した、もしくは飲酒運転で交通事故を起こした・・・・etc。
はたして明日も「相変わらず・・・・」というニュースを聞くことになるのでしょうか。そうならないことを願っています。
今日の私は日中のんびりと過ごし、夕方は大相撲中継を観てからバイトに出掛けました。
私のやっているバイトは塾講師と4件の家庭教師です。現在、塾講師が週3回、家庭教師が週5回、つまりダブルヘッダーを含め毎日何らかのバイトがあります。
どうにか来年分の学費、家賃、生活費、模試や教材などの国試対策費までは用意できましたが、金銭的なこととは別に自分が何らかの形で社会から必要とされている存在でいたいという思いがあり、依頼をいただいたお仕事は可能な限り引き受けるようにしていたら現在のようになってしまいました。
この先、来年まで今と同じペースでバイトを続けることは難しくなるかも知れませんし、現実的には無理な可能性のほうが高いと思いますが、家庭教師で教えている3人の生徒(中2、高2、高2)については最後まで責任を持って続けるつもりです。
生徒に叱咤激励の言葉をかけるとき、その言葉を発する自分が恥ずかしくないかどうかを顧みて、人に努力を求める前には常に自分の行動の中に確固たる裏付けのある存在でいたい、そうでなければいけないという信念を持って生徒と共に受験を乗り切りたいと思います。
私の住む街でも晴れ着を着た女の子が歩いていました。はたして綺麗に着飾った外見に負けないくらいの人格が成人として備わっているかどうかは疑問ですが・・・・と嫌味っぽいことを考えながら、同時に我が身を振り返って反省のきっかけにしています。
例年、成人の日の翌日にはテレビや新聞で成人式に関するニュースが報じられます。たいてい、どこかの市町村の成人式会場で新成人が暴動を起こした、あるいは酒を飲みすぎた新成人が急性アルコール中毒で死亡した、もしくは飲酒運転で交通事故を起こした・・・・etc。
はたして明日も「相変わらず・・・・」というニュースを聞くことになるのでしょうか。そうならないことを願っています。
今日の私は日中のんびりと過ごし、夕方は大相撲中継を観てからバイトに出掛けました。
私のやっているバイトは塾講師と4件の家庭教師です。現在、塾講師が週3回、家庭教師が週5回、つまりダブルヘッダーを含め毎日何らかのバイトがあります。
どうにか来年分の学費、家賃、生活費、模試や教材などの国試対策費までは用意できましたが、金銭的なこととは別に自分が何らかの形で社会から必要とされている存在でいたいという思いがあり、依頼をいただいたお仕事は可能な限り引き受けるようにしていたら現在のようになってしまいました。
この先、来年まで今と同じペースでバイトを続けることは難しくなるかも知れませんし、現実的には無理な可能性のほうが高いと思いますが、家庭教師で教えている3人の生徒(中2、高2、高2)については最後まで責任を持って続けるつもりです。
生徒に叱咤激励の言葉をかけるとき、その言葉を発する自分が恥ずかしくないかどうかを顧みて、人に努力を求める前には常に自分の行動の中に確固たる裏付けのある存在でいたい、そうでなければいけないという信念を持って生徒と共に受験を乗り切りたいと思います。
初めての日記
2005年1月9日はじめまして。
関東の某医学部5年生です。
このサイトは1年程前から覗かせていただいていました。
皆さんがそれぞれの立場で目標に向かって努力されているご様子を拝見しながら、そんなパワーやモチベーションを少しでも自分に分けてもらえたらいいなと思い、ささやかながら私も日記を書いてみることにしました。
まだのんびりと過ごしているようでも、じつは来年には医師国家試験を受験して合格しなければいけない立場です。その頃になって焦らなくても済むように、競争試験である入試に向けて必死に努力されている皆さんと同じくらいの気持ち、できればそれ以上の意気込みでこれからの“受験生生活”を送っていきたいと思います。
関東の某医学部5年生です。
このサイトは1年程前から覗かせていただいていました。
皆さんがそれぞれの立場で目標に向かって努力されているご様子を拝見しながら、そんなパワーやモチベーションを少しでも自分に分けてもらえたらいいなと思い、ささやかながら私も日記を書いてみることにしました。
まだのんびりと過ごしているようでも、じつは来年には医師国家試験を受験して合格しなければいけない立場です。その頃になって焦らなくても済むように、競争試験である入試に向けて必死に努力されている皆さんと同じくらいの気持ち、できればそれ以上の意気込みでこれからの“受験生生活”を送っていきたいと思います。